ちびぞう、アフリカの洗礼
ちびが高熱を出しました。
なんだか不機嫌だなぁと思っていたある日の夜。
まぁとにかく感情表現豊かな人なので大きな声で泣いてもそうかそうか、という感じなんだけど、その日はちょっとメソメソしてる。
「幼稚園で何かあった?」とか色々聞いても特に反応なし。
と思っていたら翌日の彼。
ご飯を残したんです。
ご飯を。残したんですよ!
食いしん坊なちび、ご飯を残したのは多分彼の人生(まだ短いけど)の中で多分2度目くらい。
あれ?と思っていたら抱っこすると。。
めちゃくちゃ熱い。
めっちゃ熱い。
検温。
うわ、38度以上もある。
即幼稚園のお休みの連絡をし。
様子を見ることに。
みるみるグズグズし出す彼。
わかりやすい。
そしてぐったりして、横になる。
保育園育ちのちびは0歳の頃もう毎週熱を出していて。
行っては休み行っては休みの繰り返し。
ただ、ぐったりするってことはなくて、熱を出しても昼寝はなかなかしてくれないし、とにかく元気って人。ご飯モリモリ食べるし。
なので、
こんなに弱ることは極めて稀。
心配しました。
まずはやっぱりマラリア。
マラリアはカンパラにはあまりないと言われているのでサファリに行く時や、遠出する時のみ心配をしていたけど、やっぱり可能性としてはもちろんある。
またその前日くらいにカンパラ市内でマラリアになったという人の話も聞いたいたので、ドキドキ。
そして昼寝するたびに上がっていく熱。
次測ると39.5度以上も、、
日本だったら間違いなく一晩は様子を見たと思います。
基本本当に調子悪くならない限り病院には行かないし(また新しい菌をもらう上に待ってる間に親子共々疲れるから笑)、薬も飲ませない事が多いんですが。
ウガンダに来たし。。ここはアフリカ。んーー。私の勝手な判断はダメだな。
と思い、近くの病院へいくことに。
前回おでこを割った時からすっかり病院恐怖症の彼は、着くなりびびっている。
ずっと帰りたそうにそわそわ。
私が血液検査するかもしれないからね、と予め説明していたこともあって終始目が潤んでいた(予めわかっている可能性は基本子どもともシェアする派です)。
で、検温後座薬を入れられてひとしきり騒いだ後、血液検査に。
普通に大人と同じように血液を取るわけですけど、やっていて、いやぁ大人になってるなーと思いました。成長しているなぁと思いました。
ちびは一歳にならないくらいの時にアレルギーの検査で血液検査していて。その時はもう本当に一時間近くかかったので。先生たちもげっそりでしたから笑
今回はまぁ、泣きはしたけどちゃんと我慢できて、針を刺してからは「もう痛くないね」という余裕もみせ。
人って成長するのねー。
結果は陰性。
マラリアではない。
ただ、何かのバクテリアの感染かなぁ?なんて言われ、薬をもらって帰宅。
そっからです。調子の下り坂。
午後はずっと寝ていて、もちろん晩ごはんは食べられず。
夜から嘔吐と下痢ですね。
きました。アフリカ洗礼。
インドとかにいく時にみんなお腹の薬を持っていくと思いますがアフリカもそうです。水はやっぱり綺麗じゃないし、みんな必ず一度はお腹を壊すと言われる(個人差あります)。
だけどちびはもともとお腹が強くて。その上体力もついてきてたのでこっちきてからも一切そんな様子はなく。
ずっと元気できていたけど。
幼稚園でご飯食べ始めたり、定期的にプールに入るようになったり、触れ合うお友だちもグンと増えたから、やっぱり体こわすよね〜〜。
2日間ほぼ何も食べなかったちびの身体はなんだか一回りくらい小さくなった感じですが、今はすっかり元気を取り戻してます。
丸2日くらい彼と思い切り向き合った感じで、久しぶりにもう四六時中ピッタリ共にいた感じで、なんだか新鮮でしたが、弱っている時の彼は可愛く。
守ってあげたいなどと母は思うのでした。笑
でも今やもうすっかり元気を取り戻し、声は大きいし、エネルギーは有り余るし、大変です。
弱ってる時は嫌味とか意地悪言わなかったのに本当に最近嫌味ブームで腹立つわ〜〜笑 口げんかばっかです。まぁ負けないけどね!
でも家族の総意。ちびが元気なのが一番。彼が元気じゃないとなんだか家の景色さえ違って見える感じです。
ようやくノーマルライフ、と思いきやメイデー(5/1)の間の月曜日さえお休みなのでしばらくべったりデイズ続きそうです。
皆さまウガンダへお越しの際はお腹の薬を忘れず。
そして今回はこういう例でしたけど、高熱が出た場合はやっぱりマラリア検査してくださいね。
寿司、すき?
3月頃から学校のアフタースクールアクティビティ(ASA)なるものをいくつかお手伝いしていて、そのうちがクッキング。
友人がやるのを引き受けたクラスに、5-8才の子どもたちが20人も来るというので「それは手伝うよ」、と話したのがきっかけ。
でもこれ、蓋を開けてみたら猛烈に大変で。笑
まず5歳くらいの子どもたちに料理させるというのがそこそこハードル高い上に、学校からも制約がたくさん。
難しすぎてもいけないし
簡単すぎてもいけないし
時間内にきちっと終わらなきゃいけないけど(帰りのバスがある)、時間を余らせて子どもたちが暇になる時間を作ってもいけない。
子どもたちが火を使うのはダメで(火を使うパートは大人がやる)、混ぜたり切ったりトッピングしたり。そんな簡単なことで楽しませ、学ばせなければいけない。
むずい。
最初からずっとアメリカンな感じのカップケーキとか、クッキーとかばかりやってたんだけど、これって退屈だよねぇ、飽きるよねぇってことで、
母と一緒に寿司の回をやりました。
これ大反響。
トッピングになるものを少し子どもたちに切らせ、
こちらでデモを見せ、
最後に子どもたちに少しずつ巻かせる
という3ステップだったのだけど、
もう子どもたちは大喜びで、巻いたものを持ち帰るはずだったのをどんどん巻いて食べる巻いて食べるの繰り返しで。愛されている食べ物なんだなぁと気づく。
私の学生時代は、外国人の友人らにはまだ寿司が苦手な子たちが多かったし、まず黒い食べ物(=海苔)を食べるということが、考えられない!みたいな世界だったので。
この20年弱の間に寿司の知名度も浸透度もものすごく上がったんだなぁということに気づかされました。
今日子どもたちはみんななかった海苔だけ分け合って食べてましたから。びっくり。
そして彼らにとっては寿司って多分もはや日本料理という感覚すらなくて。
SUSHIというインターナショナルフードなのだと知る。
「寿司って作れるんだねー」とか
「寿司って美味しいねー」と言いながら帰って行く子どもたちをみていると本当に嬉しくなって、「日本食だよ」と念を押しつつ笑、大変だけどやってよかったなぁ、幸せだなぁと思うのでした。
ウガンダも東アフリカも最近は東洋人といえば中国人ばかりだし、日本人より韓国人で。
現地のマーケットに行けば、
まずは
CHINA!と叫ばれ
反応しないと
アニョハセヨ!
と言われ、反応しないと向こうもポカンだったり。
寂しいから、寂しすぎるから
必死に「ジャパン!」って叫びながら歩いたりするけど笑
学校でこういう機会をもらって
日本の文化の一部を共有できて、誰かに喜んでもらえるってことはありがたいことだし、機会に感謝。
ただかなり大変だったからしばらくやりたくない。
来週はカップケーキに戻ります笑
ちびぞう、憧れの存在
子どもが新しい感情に出会う瞬間、新しい感情を知る瞬間。
そういうものにただただ立ち会えるのが子育ての面白さだったり楽しさだったりするのかなぁと思う。
まだ知らなかったその新しい感情と出会い、それを体験し、その感情の意味を知ったり、色んな例を知ったり繰り返したりしながら大きくなっていく。成長していく。
これが人間の面白さの一つ。
昔ちびが「恋しさ」に出会えたことについて書いたけれど、今回は「あこがれ」。
実を言うとちびはもう「憧れ」の感情を昔から知っていて。その対象はマイケルジャクソン。
マイケルジャクソン崇拝は2歳早々からずっとだし、今でも変わらずアドマイヤしているけれだ今回のそれは身近な「憧れ」。本当に近くの存在への「憧れ」だとの初めての出会いだ。
最近やたらとデニムを履きたがるようになったちび。
毎日毎日履きたがる。
でももともと固いデニム生地。しかもサイズが若干小さめとあってちびが一人で脱ぎ着するのにやたらと時間がかかるため、あまり着させたくないのが親心。
でもやたらと履きたがる。
やたらとデニムばかりをクローゼットから持ち出してくる。
なんでだ、、確かに昔からの嫌いではなかったけれどこの突然のブームは一体なんだ?!と思っていたところ。。
突然やりだした「かっこいい風の喋り方」
これは英語で喋る時になぜか、低めの声で、早口で、ボソボソっと話すこと。
うまく文字にしてお伝えできないんですが、よくわからない謎の喋り。
「それなに?聞き取りづらいんだけど」と率直に伝えたところ。
「Aのマネなの」
とのこと。
Aはクラスにいる、たぶん南スーダン人?の男の子。
一つか二つ上にお兄さんがいて、斜に構えた感じの子だ。
他の子がやたらと純粋無垢な感じなのに対し、確かにとてもカッコつけな感じ。
どうやらちびは彼に絶大なる憧れを抱いてるらしい。話をたどっていくとデニムを履きたいのも彼がよく着ているからでそれがかっこいいと思ったから、だそう。
なんだよそれ。
なんだよそれ。
なんかいいじゃーーーん。
身近なところに憧れの存在を持つってとても素敵なことだし。
家族以外にマネしたい存在ができると、世界がグググっと一気に広がっていく。ファッション音楽スポーツ、どんなことでも。憧れている人のことを真似ていくことから自分の新しい好きなことや趣味が生まれたりして。
私も4歳の頃仲良しの好きな女の子がピアノをやっていてやり始め、その後15年近くやり続けた(最後は細々。かなり)。でもなかなかそんな存在がいなかったら、ああいうきっかけじゃなかったら、続けられなかったかもしれないから。
身近な存在への「憧れ」は私の知り得る範囲ではちびにとっては初で、そこからすでに色んなことを彼は感じたり、世界を押し広げたりしてる。
すごくすごく成長を感じました。と同時にこんなに成長してるんだもの、そりゃこれだけ小憎たらしく、私と喧嘩もするわな、と納得もしたわけです。
新しい感情。
私の年齢になってくると、新しい感情に出会えることなんて早々ないから、ちびが新しい感情と出会い、それを共有してくれることが、楽しみです。そのうち共有してくれなくなるんだろうからなー。。笑
帰宅後トランポリンの上で私の上に寝るおちび。
ちびぞう、「言ってみたい」を言える力
ちびぞうを見ていると、どうしても自分が英語を勉強していた頃のことを振り返って重ねてしまうのでいろんなことを思い出す。
思い出して比べているとすごいな、ほんと彼らってすごいな、と思うことがたくさんあって、良い気づきの嵐。
その中でももうダントツ一番は
「言ってみたいを言える凄さ」。
彼は耳がキャッチした英語をすぐ使ってみる。聞いていて、なんとなくわかったら、使い方はなんとなくでも、本当にすぐ使う。
これが大人のできない一番のハードルだと思う。大人というかある程度大きくなると難しい。
今でも忘れられない私の若かりし日のエピソード。
私が英語を勉強し始めた頃「exactly」という単語がすごくカッコ良く聞こえて、本当にいつも使ってみたかった。
自分に向けて言ってみたり、小さい声でこっそり言ってみたりをしたけど、実際使えるようになるのは本当に時間が経ってからだったと思う。
「頭の中で描いている英語の文や言葉を言葉に出して実際現場で使うまで」この期間が大人になると、というか成長につれどんどん長くなる。
これが多分言語習得の中での一番長い期間かも(もちろん人によるのは間違いない)。
成長につれどんどん失敗を恐れるようになり、母国語の安心に溺れるようになり、その中から抜け出すのが怖いから。
だから使わない。そのとき必要な単語を知っていても使わない。
発話しない。使い方は知ってるのに。やり方は知ってるのに。伝わらなかった時のことが、怖いから。
理解してもらえない状態を想像した時、恥ずかしいから。
実際は思ったよりも、聞いてる人も皆一生懸命理解しようとしてくれるものだけど、でもやっぱり恥や恐怖が邪魔する現実。これをなかなか乗り越えられない。少なくとも私はそうだったから。
いつも恐る恐る。いつもドキドキ。
いつも、理解してもらえるだろうか、わかってもらえるだろうか。伝わるだろうか。笑われてしまわないだろうか。
そんなことばなりが頭のてっぺんにあって、取り繕う準備だけ万端にして会話に挑んでいた。
今はそんなことはないけど、その壁を乗り越えるのに一体何年かかったんだろうか。恐ろしい年月だと思う。
でもちびはちがう。
「mummy」という単語を知り、それがお母さんだと知ったらすぐさま私を呼ぶときに使ってみる。
Good morning mummy
Bye mummy
I love you mummy
使ってみて自分の言葉を聞いてみて、反応をもちろんみてまたすぐ使う。
このサイクルがどんどんどんどん早くなってどんどんどんどんキャッチしていって、彼は上手くなる。
使ってみると微妙なニュアンスの違いもわかるし、相手が直してくれたり、実際伝わらないこともある。でもそんなときにより多くを学ぶから。
喋らない、とか母国語で喋る、とかいろんな抜け道がある中、抜け道に見向きもせず、まっすぐ進んでいく姿勢。
なかなか真似できないです。だから子どもの語学習得スピードは早いんだろうか。
私にできることはすごく少ないけど彼が新しい単語を話してる姿を見かけたときは、ものすごく褒めるようにしてます。オーバーなくらいに。
たったひとつの単語でも覚えていくと文章になるし、繰り返していくと自分のものになっていくから。ひとつの単語もバカにできない。ネガティヴな言葉も汚い言葉もたくさん覚えてから選択して使っていけばいい。
だから、新しいことを躊躇せず使う彼の姿を見かけたときは人一倍喜んでみます。
なんて、日々魔の3歳児に直面しながら鬼になっているので、また怒りたくなったらこれを何度も読み直して、ちびを褒めてあげることにしたいと思います。はう。。
日本恋しい?
本当に突然の私ごとですが、
モノノフ(ももいろクローバーZのファン)歴が7年弱になります。
Zになったばかりの彼女たちをたまたまテレビで見かけて気になるようになり、筋肉少女帯とホルモン目的で行ったフェスで改めて好きだと確信し、即ファンクラブに加入。
それからプライベートは本当にももクロとセットで。
建さんが一緒にファンになったからということもあるけれど、ももクロの地方ライブに合わせて旅行に行き、有給休暇もボーナスもももクロに充ててきました。
つわりがひどいときに国立でのライブがあり、臨月間近のお腹を抱えて桃神祭のツーデイズに参戦。ちびが生まれてからは少しずつ足が遠のいているけどちびも従えて子ども祭り(ももクロの子ども向けライブ)に行ったりして。
そんな大好きなももクロちゃん。
ウガンダに来て日本を離れて早々に私のモノノフ歴最強にびっくりする出来事があり(メンバー脱退)。
こんな時期に日本にいて彼女たちを応援できないことがものすごく辛いです、、、笑
ピンチに直面している彼女たちこそ余計に応援したくなる、それがモノノフの心理かもな、と思ったりします。
あ、本当にどうでも良い内容ですみません。
突然なんでこんなことを書いたかというと。
こちらにきて4ヶ月弱、「日本が恋しいことある?」と聞かれたからです。
どうだろう、と思ってうーんと考えてみて。日本の何かで恋しいことがあるかな?と考えてみて。
「人」
もちろん大切な人たちにあまり顔を合わせられなくて少しさみしいのはもちろん恋しいなのかな、と思うけど。
でもそれはそれほどではない。
突然の薄情者!と思った方、違います笑
またすぐ会えるっていう安心感があるし、それに今ってネットがすごいから。ネットって本当すごい。
父と母が若かりし日海をまたいだ遠距離恋愛をしていたときは恐ろしい数の文通をしていたと聞き、今は本当に楽だなぁと思う。
日本で飲み会をしている友達にテレビ電話で参加したりできるもの。時差があるけど。。ウガンダのネットワークひどいけど。。
でもだから、あんまり離れている気がしないのです。
「もの」
食べ物?飲み物?洋服?化粧品。。
この辺りは今のところ全くない気が。
突然「黒ラベルのみたいなー」みたいな事態が訪れるかなと思ったけどそれほどではないです。代替可能です。ウガンダビール美味しいしね。
洋服や化粧品とかは先日の記事に書いた通り。ほんとになくても大丈夫って知りました。少なくとも今の生活においては。限られたものの中で満足してます。まだ4ヶ月弱だからね。
「利便性」
あとは日本最強説のこれ。
これはですねー。恋しくないです。全く。ほんと全く。
これが昔はアフリカにいるといつも恋しくて恋しくて。恋しくて仕方なかったけど今は全然だな。
私の生活がウガンダの生活にしてはものすごく恵まれてるからっていうのが大きいんだけど、、、
なんでも便利に手に入らない。どこでもすぐに行けない。っていうのは、近くのものを大事にするなぁと思います。近しい人とか家の中とか、今あるものとか。
だからこの感覚は大事にしたいです。
で、結論からいうと。
今んところ恋しいものってないなぁと思っていたんですけどそんな時「これは!」と思ったのですよ。それがももクロちゃん。
ライブに行きたいなぁと思ってもCDを買いたいなぁと思ってもできないから、あまり応援できずそれがとても残念!
恋しいなぁ。このブログを読んでくださってる限られた読者の方々の中にもしモノノフさんがいらっしゃれば、代わりに応援よろしくお願いします。笑
なんだこりゃ。
ちびぞう、「大丈夫」だよ。
月曜日は私は料理教室の日。
開始一時間前くらいから学校に行き準備をして午後一時間20人の5歳から8歳くらいまでの子どもたちと大騒ぎ!
とっても楽しい教室だけど終わった後にドッと疲れが出ます、、、今日は昨日の疲れからか本当に起きられなかったー。気がついたらちびをおこさなければいけない時間になってました。笑
そんなバタバタな月曜日。
そんな月曜日はちびのお迎えには建さん。私がバタバタしているのでお迎えをお願いしているのですが、、、
料理教室を終えて家に帰ると、あれ?
なんだかおかしい。
なんかおかしい。
だいぶ前に帰宅しているはずのちびの荷物が玄関に置かれているし。靴もその辺に。。おや?
と思って聞いてみると私の顔を見るなり建さん平謝り。
どうやら昼寝してしまったらしく、気づいたらちびを迎えなければ行けない時間をとうにすぎていたとのこと!
わお、びっくり。
最近頑張りすぎて建さん色々疲れていたんだなぁと思うけれど、それより先に軽く怒ってしまった私。
「えーーちょっとー!!」と怒る私に
「大丈夫大丈夫。大丈夫よ、かっちゃ。大丈夫なのよ。」とちびぞう。私が振り返ると「全然大丈夫よ。」と繰り返す人。
でもいつもの時間に来ないお迎えと、次々に帰っていくクラスメイトを見て何を思ったかな、とか、先生が「お迎え少し遅れてるのかもね」などと話してくれてもわからなかっただろうな、とか一人でポツンと待ってたのかな、なんていろんなことを想像すると私は。。。
ただ、言うまでもなく猛烈に反省しまくっている建さんをそれ以上責めるわけにはいかないので、今後気をつけようねと約束する。わたしにもできることはあったかもしれない。
そして建さんを怒ってしまった私は自分も反省。
そして何よりちびの優しさに感謝!
寝る前に再度謝るとっちゃに対しても「大丈夫よー!」と。
思えば最近すっかり「大丈夫」が口癖なちび。
断るときにも「大丈夫」を使うし、誰かが失敗したり、謝ったときにも必ずと言っていいほど「大丈夫大丈夫」と言ってくれる。
そういえば
英語が話せないちびに先生が安心させてあげたいからと、「it’s okayを日本語で教えてほしい」と言ってくれたのが3ヶ月前。
それからことあるごとにちびに安心感を与えようと「ダイジョーブ、ダイジョーブ」と伝えてくれていて、多分ちびはそこからキャッチしたんだと思う。まだちびは英語がわからないから先生の言ってくれる「ダイジョーブ」には敏感になってると思うし、紛れもなく今の彼を支えてくれている言葉に違いない。
思えば大丈夫って本当にいい言葉だ。
その言葉で誰かを許してあげることもできるし、誰かを安心させてあげることもできる。勇気付けてあげることもできれば、失敗から立ち直させてあげることもできるかも。
日本語の環境の中にずっといたらきっと彼の心にそこまで根を張ることのなかったかもしれないその言葉が、今のちび自身に安心感を与えていて、またちびが発することで私たちが幸せな気持ちになれること。本当にすごいことだなと思ったのでした。
言葉のパワーって、とてもすごいけど、今くらいの時期の子どもたちにとって周りの大人が使う言葉のパワーは本当に半端ない。
私が使ってしまうネガティブな言葉が彼に移ることは、彼だけにでらなく、それを転用して使う彼の周りや、彼の人間関係にまできっと影響を及ぼしていくから。もちろんもちろん逆もしかり。
私もちびの口ぐせを拝借して、優しい言葉をできるだけ使わねばと誓ったわけであります。
「ずれてる」を楽しめる?
ずれを楽しめる?
日々いろいろと書きたいことがあるのにうまく書き上げることができず。
どんどん下書きばかり溜まっていく。何十個もの仕掛品が棚にあるけどいつまでたっても出荷されず、、みたいな感じです。
だってあまりに話に落ちがないもんだから、、、といいつつ今日もまた落ちのない話を書く。
ずれ。
ずれを楽しめるか。
対人関係において「それ、私とずれてる」をいかに受け入れて楽しさに変えてしまえるか、
それは本当に課題だなぁと思っている。いつも、いつも。
私はずれをあまり受け入れられないタイプ、キャパが狭く、他人に厳しい。
だからこそ自分自身も窮屈だし相手を不快な思いにさせることも多いと思う。
人はだれしもたぶん、生まれ育った環境、家族、周りの人々によって
「自分」を作っていく。
生涯を通して完全に出来上がることはなくて、日々が作られる過程ではあるのだと思うのだけど
とはいえ20年、30年も生きてくれば、ある程度固まってきて人間としてのキャパができあがってくる。
「ここまでは常識」「ここまでは許せる、大丈夫」みたいな自分なりの範囲ができてきて、
「自分」ができてくる。
ただ、新しいコミュニティに足を踏み入れたり、新しい人々に会ったり
新しい人生のステージに入ると必ずのようにそれを覆すような経験をするわけで。
「ここまで」って引いていたきれいな太い線を平気でスキップで乗り越えられたりすることが
しばしば、起こるわけだ。
私の場合キャパも狭いので、乗り越えられる経験がその分多い。
この乗り越えられる経験が多い分、それによって感情を動かされたりするわけだけど。
動かされた感情がプラスに動くか、マイナスに動くか。
「ほほう。そういう考え方もあるのやな」と思えるか
「本当に常識ないなこの人。嫌だから付き合いやめよ」とShut outしてしまうのか。
私は断然後者の方が多いんですけど(恥)。本当にもったいないよね。
だってそれって自分が作ったキャパのせいで、乗り越えられる経験もあるわけで、、
(まぁもちろん本当にちょっとダメな場合もあるんですけど、、笑)
そんなこんなで、、
海外で生活すると、違う個体の人であることだけでなく、人種や信仰、育って来た環境、金銭感覚、ベースの部分でもかなり大きく違うから、本当にその「乗り越えられる」経験をすることが山のようにある。
今から思うと私それが耐えられなくて日本に帰ったようなところがあったのかもな、と今振り返り思ったりする。
高校卒業時日本にどうしても帰りたかった18歳の私は、海外の大学への進学なども一切振り切り、日本へ帰って来た。人一倍日本への憧れが強かったからなんだけど、私にとっては日本が心地良い場所だったからなんだよなぁ。きっと。
日本にいれば私のキャパは他の人と大きくずれすぎることがなく、安心安全だったから。
でも、結婚して子どもが生まれて、近しいところでかなり私の枠線(と呼ぶことにしよう)を乗り越えられることが多くなって。
最初はキーキー怒っていたけど(今もか)、少しずつ動じることが減って来た。
それは多分結婚して子どもが生まれるまでは、あまり他の人と踏み込んで付き合うことを遠慮してたのかな。というか踏み込む勇気がなかったのかな。
だから枠線を乗り越えられたとき、それより先に踏み込んで、乗り越えられた理由や背景を知ったり考えたりしなかったのかもしれないな。
ただ新しく家族が増えて、そんな経験がどんどん増えて、私の中で踏み込んで考えるしかなくなって来て、ようやく私も他の人には他の人の事情があるし、色々違うんだわ、と体感しとして本当に知った!!今更?!って笑うかな?でも恥ずかしながらそうなんです。
今までできなかったことがようやく少しずつできるようになって来た(でもまだまだだよ)。
そんな中ウガンダにやってきて、本当に家族が増えたことによって、海外生活の私のキャパシティが広がり、良かったなぁ幸せだなぁと思っています。
「ずれ」を感じる出来事は日常的に起こりはするけど、でもなんか、まぁいいかぁ、と思えることが多いのです。
文句は言ってみるけど、そんなもんか、と受け入れてみたりする。
だから、より、今回のウガンダでの日々は楽しいんだと思います。どんどん世界も広がって行く感じがします。短期間で。
それは紛れもなく家族のおかげなんだけど。
「ずれ」をたくさん感じていろんな人の考え方や生き方を経験しながらも、自分の大切なものや感覚はぶらさず、残りの期間も生活したいな、と思います。
面白い「ずれ」の話があればここでも書いていきたいなぁ。