ちびぞう、「言ってみたい」を言える力
ちびぞうを見ていると、どうしても自分が英語を勉強していた頃のことを振り返って重ねてしまうのでいろんなことを思い出す。
思い出して比べているとすごいな、ほんと彼らってすごいな、と思うことがたくさんあって、良い気づきの嵐。
その中でももうダントツ一番は
「言ってみたいを言える凄さ」。
彼は耳がキャッチした英語をすぐ使ってみる。聞いていて、なんとなくわかったら、使い方はなんとなくでも、本当にすぐ使う。
これが大人のできない一番のハードルだと思う。大人というかある程度大きくなると難しい。
今でも忘れられない私の若かりし日のエピソード。
私が英語を勉強し始めた頃「exactly」という単語がすごくカッコ良く聞こえて、本当にいつも使ってみたかった。
自分に向けて言ってみたり、小さい声でこっそり言ってみたりをしたけど、実際使えるようになるのは本当に時間が経ってからだったと思う。
「頭の中で描いている英語の文や言葉を言葉に出して実際現場で使うまで」この期間が大人になると、というか成長につれどんどん長くなる。
これが多分言語習得の中での一番長い期間かも(もちろん人によるのは間違いない)。
成長につれどんどん失敗を恐れるようになり、母国語の安心に溺れるようになり、その中から抜け出すのが怖いから。
だから使わない。そのとき必要な単語を知っていても使わない。
発話しない。使い方は知ってるのに。やり方は知ってるのに。伝わらなかった時のことが、怖いから。
理解してもらえない状態を想像した時、恥ずかしいから。
実際は思ったよりも、聞いてる人も皆一生懸命理解しようとしてくれるものだけど、でもやっぱり恥や恐怖が邪魔する現実。これをなかなか乗り越えられない。少なくとも私はそうだったから。
いつも恐る恐る。いつもドキドキ。
いつも、理解してもらえるだろうか、わかってもらえるだろうか。伝わるだろうか。笑われてしまわないだろうか。
そんなことばなりが頭のてっぺんにあって、取り繕う準備だけ万端にして会話に挑んでいた。
今はそんなことはないけど、その壁を乗り越えるのに一体何年かかったんだろうか。恐ろしい年月だと思う。
でもちびはちがう。
「mummy」という単語を知り、それがお母さんだと知ったらすぐさま私を呼ぶときに使ってみる。
Good morning mummy
Bye mummy
I love you mummy
使ってみて自分の言葉を聞いてみて、反応をもちろんみてまたすぐ使う。
このサイクルがどんどんどんどん早くなってどんどんどんどんキャッチしていって、彼は上手くなる。
使ってみると微妙なニュアンスの違いもわかるし、相手が直してくれたり、実際伝わらないこともある。でもそんなときにより多くを学ぶから。
喋らない、とか母国語で喋る、とかいろんな抜け道がある中、抜け道に見向きもせず、まっすぐ進んでいく姿勢。
なかなか真似できないです。だから子どもの語学習得スピードは早いんだろうか。
私にできることはすごく少ないけど彼が新しい単語を話してる姿を見かけたときは、ものすごく褒めるようにしてます。オーバーなくらいに。
たったひとつの単語でも覚えていくと文章になるし、繰り返していくと自分のものになっていくから。ひとつの単語もバカにできない。ネガティヴな言葉も汚い言葉もたくさん覚えてから選択して使っていけばいい。
だから、新しいことを躊躇せず使う彼の姿を見かけたときは人一倍喜んでみます。
なんて、日々魔の3歳児に直面しながら鬼になっているので、また怒りたくなったらこれを何度も読み直して、ちびを褒めてあげることにしたいと思います。はう。。