家族でアフリカに住んでます。

アフリカ生活における家族の記録。主に息子ちびぞう(3歳)のおはなし。

ちびぞう、「恋しさ」と出会う

先日、ちびぞうが日本にいた時に通っていた保育園で、発表会があったらしい。

演目はちびも大好きな絵本で、思い出の絵本。

ちびが最後に登園した日にも保育園で先生がその本を読んでくれたとのこと。

大事な大事な思い出の1つだ。

 

そんな発表会の様子を保育園で仲良くしていただいてたお母さんが、ムービーにとり、私宛にわざわざ後日送ってくれた。

向こうも私が送るちびの様子をいつも娘さんに見せてくれているらしい。

ちびにも動画を今にでも見せてあげたい!!と思ったのだけど、ふと、考えてしまった。

 

寂しくなってしまわないか。

ホームシックになってしまわないか。

自分もやりたかったと、落ち込んでしまわないか。

 

親の役目はそんなことをただただ心配することだろうか。

そんな矢先の出来事。

 

 

ちびぞうの救世主であるしんちゃんがきてくれてからおよそ1週間が経過し、しんちゃんの帰国も迫ってきてしまった。一緒に過ごせるのもあとほんの数日。

f:id:ranka_toba:20180212031504j:image

 

ちびには「しんちゃんはずっとはウガンダにいないよ」ときちんと話していたけれど、突然いなくなったと感じるとさみしいだろうし、別れの後のショックも大きいだろうと「しんちゃんあと○○日で日本に帰るんだよ」と話すと、固まるちび。

そして「さみしいさみしい」と大粒の涙をぽつぽつと流したあと、わーんと声をあげて泣き出した。

これは想定の範囲内

その後の発言の方がちょっとショックで。

「しんちゃんが帰ったらちびちゃんたちもそろそろおうちに帰る?」

「おうち帰りたくなっちゃった。おうちのほうが楽しいし、よかったから、、かまくらのおうち、、」と話すちび。

 

んーー。もちろん幼稚園では色々な葛藤があるけど、私も建さんも仕事がなくておじいちゃんおばあちゃんもいるし、そこそこハッピーかな、と楽天的に考えていた私。でもちびにとってはやっぱり鎌倉の自分の場所が1つの居場所として大切だったんだなぁと当然のごく当たり前のことを、今更のように気づかされる。

そして、おうちという言葉を決してウガンダの家に使うことを許さないちびに気づき、まだ彼の中では、ホーム=鎌倉の家、コミュニティだということを再認識する。

いや、わかっていたし、まだ1ヶ月やそこらの場所が彼が生まれてからずっと生まれ育った場所よりホームになんて簡単にはならないのだろうと。

わかっていたわけです。ただ、少しうろたえたんです。

自分の浅はかさに。

自分の楽観視に。

うろたえたわけです。

 

 

私自身がずっと幼少期から海外日本を含めて引っ越しばかりしていて、ホームと呼べる場所がないことは小さい頃からの私のちょっとした不満事項で。

「地元が〜〜」と話す人たちがとにかく羨ましかった。だから、ちびには故郷を、ホームを作ってあげたいと思って鎌倉に引っ越して、、子育てをして、、でもいま。この状況。笑

いいところドリなんて、そんなことそう簡単にできないって知ってる。

ホーム作ってほしいとか、いろんなところへ行っていろんな経験してほしい、とかも全部親のエゴって、知ってる。

 

ただ、1年間これから過ごして帰るときまでに、ああまたウガンダ帰りたいなって思えるくらいウガンダに楽しい思い出や、足跡をたくさんたくさん残してほしい。

ああ、あのとき鎌倉に帰りたかったけどウガンダも探してみたら楽しかったからこれからも楽しいことたくさんあるよ、って、これからもいろんなことができるんだわ、って前だけ見て信じられるように生きてほしい。

なんて、、

そして今迄過去を振り返ったり、会えない誰かに会いたがったり、昔行った何処かへ行きたがったり、という「恋しい」という感情にまだあまり強く出会ってきなかったかもしれないちびが、「恋しさ」に出会ったんだということが、成長を実感して嬉しかったりして。「恋しい」。

恋しい「離れている人や場所、また事物などに強く心を引かれるさま」

 

はぁ、書き終えた文章を読むとなんだかとてもベタベタなことを書いてるようだけど。。。

 

とりあえずいただいた発表会のムービーは建さんと2人でまずは見せていただこうと、思います。

 

(サファリ記事の続きは次に!!)