ウガンダから帰国しました。

アフリカから帰国した家族のお話。

ちびぞう、そのまんま受け入れる

(なんだかとりとめのない話だけど私の中では気づいたとき衝撃で、そしてとても大切な気づきなので記録に残しておきたくて、、、)

 

ウガンダにきて、インターナショナルな環境で生活するちびと話していて、これって私にはできない、と思うのは目の前の状況をまるっと受け入れる力。本当に羨ましくて本当にリスペクトしてる。

 

 

昔の記事に、まだちびが全く初めて幼稚園に行き始めた頃のことを書いたけど、

その時からそうだった。

「先生は英語の人だからちびちゃんの日本語わかんないのよ」と困ってはいたけど、

「なんでわかってくれないの?」とはならなかった。最初から「先生は日本語がわからない。英語しか話せない。」ことを「理解」し、「受け入れ」ていたように思う。その状況にかなり困っていたし苦しんでいたけど(もちろん今も)、その状況はその時からそのまま受け入れていたちびさん。本当は疑問に思うことで新しい面白い気づきがたくさんあったのかもしれないけど、少なくとも今の彼にとってはそれらのことは瑣末なことなんだと思う。

 

今もそうだ。

自分が話す日本語が理解されないのをわかりながらも、ギャグを言ったり、自分の好きな言葉を披露したりしているらしい。それでいて彼は私にいうんだ。

「ま、みんなわからないんだけどね」と。

 

 

そんな彼は、こちらに来てから、ただの一度も、他の国の子たちの肌や、目の色、髪の色について質問をしたことがない。

 

ちびぞうのクラスの子は本当に多分全員一人一人の人種が違っていて、肌の色も目の色も髪の毛の色も形状もみんな全く違う。

でもただの一度もちびの口から友達の見た目に関して、疑問が出たことがない。別名なぜなぜ星人の彼から、ただの一度も。全ての会話を質問に変えられるんじゃないかというくらい質問したがる彼から一度たりとも。

 

だって多分彼は、きっと彼は、一度もそれに関して疑問を持ったことがない。

 

我々大人同士だと、第三者の説明をするときに、肌の色や人種を例に出して説明しがちだけれと、ちびの場合はそれもない。

 

「新しい子が入って来たんだ。」

というちびぞうに

「どんな子?」と聞くと

 

「んー。ちびちゃんより少し小さくてね、女の子だと思うよ、多分ね。」とのこと。

 

「んー。そっか。どこの国の子だろう。肌の色、どんな色?」と私が聞くと

「ん?どういうこと?」と。

 

子どもたちのコミュニケーションの中で属性の話をし出すことってずっとずっと後のことで、それまではそんなこと全く関係のない、本当にフラットな世界に生きているんだなぁと改めて思う。

 

属性に気づいたり帰属意識が生まれたりすることによる良いことももちろんたくさんたくさんあると思うけれど、そんなことを一切考えず、常にただの一人の人同士として向き合う彼等が本当に羨ましくなった瞬間。

 

そして、その状況に疑問を持たないまま、それをそれとして、それをそのままに受け入れてそれをベースに大きくなってほしい。できることなら、本当に。

 

こんなの本当に親のエゴで、成長の末彼がどう考えていくのかなんてわからないけれど、、

世の中にはいろんな人種やバックグラウンドの人がいて、いろんな場所があってそれはそれで、でも目の前にある状況はそれなんだって、目の前にいる人をその人その一人として受け入れられるそんな存在でいてほしい。

 

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まぁ先々どうなるかなんてわからないけど、そんな彼を羨ましく、かつ素晴らしいなぁと思うことのできた、そんな大事な気づきでした。