ウガンダから帰国しました。

アフリカから帰国した家族のお話。

ちびぞう、救世主あらわる

幼稚園に迎えに行くと1人でポツンと座っていたり。

みんなでわーって喋って盛り上がる中に入って行けなかったり。

うまく嫌な気持ちが伝わらなくて手が出てしまったり。

コミュニケーションに苦戦し、苦悩し、日々試行錯誤のちびぞう。

なかなか思いっきり楽しむことって難しいし、やっぱり日本の保育園で仲良くしていたような友だち付き合いはまだできないでいる。家に帰ってくると堰を切ったように話し出すちびを見ていて、本当にそれを日々感じている。

 

 

、、、そんなちびに救世主が来ました!

私の弟、つまり、ちびぞうのおじさんにあたる、しんちゃん!

しんちゃんのことが大〜好きなちびは、もう大喜び。

完全に彼を友達だと思っているので、しんちゃんはすっかりちびぞうの遊び相手に。

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しんちゃんはアフリカのほかの国で国境なき医師団で働いているのですが、この度ミッションの合間に休暇を取ってちびに会いに来てくれたわけです。

短いステイにはなるけれど、ちびぞうにとっては本当にご褒美のような時間。

少しだけ日本語が不自由なしんちゃんに日本語を教え(?)、英語をしんちゃんに教えてもらう、そんな時間も取れています。

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親だけでなく、自分の気持ちを話したときに、理解してくれる、そんな相手がいることがいかに大切か。幸せなことか。

ちびの嬉しそうな様子を見ているとヒシヒシ感じます。

 

聞いて欲しいんだよね。

話すことをちゃんと聞いて欲しいんだよね。理解して、コミュニケーションをとって欲しいんだよね。

彼が話すことを聞いてあげることの大切さ。本当に忘れがちだけど明日からより意識してやっていかないとな、と思った私。すぐに忘れてしまいそうなので、ここに誓いを込めて書いておきます。

 

 

ちびぞう、マイノリティの経験力

「かっちゃ!ちびちゃんのblueの靴がないよ!」

「ここにあったよ。はい、"here you are"」

「ああ!"Thank you!"」

 

 

幼稚園へ通い始めたころはそれはそれは英語が嫌で。

英語にただただ嫌悪感を示していたちびぞう。

英語で話しかけるとそっぽ向いたり、無視したり、大きな声で日本語で返したり。

必死に彼なりに抵抗していたように思う。

以前の記事にも書いた通り、理解してもらえないストレスはものすごいようで、幼稚園では静かに静かにしているらしい。そんな彼は家に帰宅してからのスーパーハイテンションでもう止まることなく話し続ける。

息継ぎを忘れているんじゃないかと思うくらいのスピードと単語量で話し続ける、それはもう一生懸命に。午前中の分をなんとか取り返そうとしているんだようか。

 

でもやっぱり転機ってあるんですね。

子どもだからなのだろうか。お話し好きだからなのだろうか。周りの人のおかげだろうか。それとも本当に必死の必要性から、学ぼうと努力することにしたんだろうか。

ここ最近英語に対する興味が強くなり、英語への嫌悪感が消え、彼は英語と向き合い始めた。

何かを見つけては「これ英語でなんていうの?」と聞き、それを英語で言ってみる。

一度覚えると忘れることは少なく、繰り返し使うことができる。

「"Thank you!"って言われたら"welcome"だよね」

「謝るときは"I'm sorry"だよね」

「いいときはね"good!"っていうし、ダメなときは"nooooo"だよ」

 

 

1人で過ごしているときに、鶏に対して"no no no!"なんて言っているときもあるし。

そして冒頭で書いたのが先日の放課後のやり取り。突然英語を交えてしゃべってみたり。

1人でで数を数えるときにone, two, three...なんて英語で数えるそぶりを見せてみたり。

 

幼稚園に行くと、やっぱり他の友達と言葉を交わすのが難しいのか、他の子たちとコミュニケーションできずに孤立しているのかなぁと思うこともある。

言葉が話せたらきっと解決できるのに言葉が不自由なせいで解決できないことってたくさんあると思う。

ちょっとした行き違いから歪みが生まれることも。

 

マジョリティ対マイノリティの構図になった時のマイノリティの辛さは、その最中にいる人しかわからぬ辛さだ、たぶん。

ただこの辛さをきっと忘れずにいて、今後の人生でその辛さを持ってる人に手を差し伸べられるような、この先何かの折にマジョリティ側の立場になったときもその時のマイノリティにあたる人の気持ちをちゃんと一緒に考えられるような、そんな人であってほしい。

 

言葉や文化だけじゃなく。

何か1つの考え方をとっても誰かがマジョリティの中で孤立することは常々あると思う。

 

辛い経験。彼にとって今の日々がクリティカルであるほど辛いのであれば、きっとどこかに残ってくれるはず。そして彼は今必死に考えていると思う。彼なりの生きる術を。

これを1つ乗り越えた時、また1つ彼の中に新しい考え方、考える力が芽生えていくんではないか。

 

 

 

 

なぁんてことを日々考え過ごしているわけでは決してなく笑、ちょっと日々に苦しんでいる彼に、言語だけじゃなく、今多分本当に大切なことを学んでるよ、と言いたくてこんなことをかんがえてみたのでした。

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立ち止まって見えること

昨日の予想通り、昨日あんなにハッピーに帰宅したちびでしたが

今朝は登園時ぎゃんぎゃんと泣いていました。さすが、期待を裏切らない。

裏切ってくれ!!!笑 

またちびの様子は明日以降書きたいと思います。

最近英語への興味がうなぎのぼりなので、彼の英語事情についても書きますね。

 

 

 

そんなこんなでちびの行動や動きを日々観察する私。

今は完全にいろんなことがスローな感じです。

 

日本にいたときはもう一分一秒こそ貴重で貴重で、、、、

洗い物をしたり、トイレに入りながらという隙間時間を使って携帯で海外ドラマを見る、なんていう日々でしたが、

今は180度変わり、本当に毎日がのんびりのんびりです。

 

おかげでちびの日々の様子の変化も近くでよく見えるし、、、

今までちびぞうがおやつを食べてる様子をゆっくり観察したことなんてなかっ。お絵描きするプロセスをじっくり見たことなんて、なかった。

自分が何かしたいときにおやつは食べてもらうもの、だったしお絵描きは決まって私が仕事をするときにやってもらうもの、だった。

昼寝している寝顔をじっくり眺めるなんてことは彼が生まれて3年間の間片手の指で収まる程度の回数しかなかったと思う。

 

 

こちらに来るとき「ウガンダで何するんですか?」とみんなに聞かれたけど

まったく決めずに来てしまった。

まったく決めずに来たのはすごく大きな理由があって。

決めてしまうとそれにとらわれる気がしたから。じっとしていられない性分の私。生産性命の私。きっと決めてきたらその「決めたこと」に躍起になってしがみついて、日々の景色が、周りが全く見えなくなる気がしたから。

 

そして決めずに来てこの一か月。

なんだかあっという間に過ぎてしまったけど本当にいろんなことを見つめなおすきっかけになったと思う。

一人で横になってじっと考えたり、家族の様子をよぉく観察したりしていろんなことが見えてきたし、何より自分自身の求める今後の過ごし方や時間の使い方についてしっかり考えることができて。

 

一か月ゆっくりと時間を過ごしてみて、立ち止まって周りをじっくり見つめてみて、この一か月こそ本当に実りの多い時間が凝縮されていたような気がする。

 

そして私が私自身がこの1年間をどうやって過ごしたいか、ちょっとばかし見えてきた気がしています。

 

今年の私のテーマは『言葉』にしたいなと思っています。(ごめんなさい。盛大に変わるかもしれないんですけどね)

まずは英語を丁寧に学びなおそうと。私の粗削りの英語を一から丁寧に学びなおし、より使える英語にしたいなぁ。

それからこのブログだけでなく、日々の様子をいろんな形で言葉で記録にしようと。ブログを始めて言葉ってやっぱり楽しいと思ったので言葉でいろんな記録をしていこうと、思います。

最後に、いろんな国の言葉を通じていろんな文化や宗教に敏感になろうと。

ウガンダは本当に移民の人口も多いし、色んなアフリカの人たちがいて。彼らは本当に自分の民族への愛がすごい。その姿勢や言葉から刺激を受けるばかりの日々なので、臆することなくいろんなことを教えてもらおうと、思います。若い頃はそこに突っ込んでいくのが怖かったけど、今は憶病になることより、積極的にいろいろと聞いて、教えてもらって私の知識にしたい。

そして帰国したときにいろんな経験を忘れていくちびにリマインドとして知識がインプットできるようなコミュニケーションができるといいなぁ、と思っています。

 

そして色々考えてると面白いほどに15年前に頭に描いていたことから私の考えが成長していない。成長していないというか、根底にある考えって変わってないのかも。

そう思うとそれが一番私にとって大事なことかもしれないなぁ。。

これもどこかで気が向いたら書いておこうかな〜。

 

ちびぞう、"see you tomorrow!"

泣かずに登園できる日が少しずつ増えてきたちびぞうさん

一応毎朝のように「なんとか行かなくて良い方法はないか」と模索してみるそぶりは見せるものの、最後は諦めて行ってくれる笑

(今朝も「ニワトリさんがちびを呼んでるからー!今日はニワトリさんと過ごすカラー!」と庭のフェンスにしがみついて怒っていた。)

 

そして何より最近変化が大きく見られるようになったのが幼稚園からの帰り道。

お迎えの時は基本的に最初から日々機嫌が良くて、たまにまだ帰りたくないようなそぶりさえ見せるちびぞうだったけど、どうしても先生に言うことができなかったのが「see you tomorrow」

 

帰宅時元気に「バーイ!」とハイタッチしながら先生や友達と別れることはできるものの、see youができなかった。

先生がいくら何度も「ちび、see you tomorrow!」と言ってくれても頑なに「bye」と返すちび。

 

「先生にsee you tomorrowって言わないの?またね。また明日ねって言ってくれてるよ」とある日私が聞いてみると「まだ先生とはsee you tomorrowしたくない」と拒む。どうやら言葉の意味は理解しているらしい。

理解したうえで、言いたくないと思っているらしい、、その呪文を言うと明日来ないといけない、くらいに思っているのね、、、

「もう私に会いたくないのねー」なんて先生が泣く真似なんかしてみても知らん顔。

素知らぬ顔でただただ「バーイ」と返す人。

 

ところが今日。

迎えに行くとなぜか上機嫌のちび。

口角が上がって、にやにやしている。

原因は全く不明。ただしやけにハイテンション。

迎えに行くと、スキップのように軽い足取りで外に出てくるちび。

すると、全員とハグをし始めた。

同じクラスの子、先生、全員一人一人と丁寧にハグをし、ハイタッチも。

そして出ました「see you tomorrow!!」

高らかに笑いながらみんなにまた明日と挨拶し、家路についたのでした。

 

 

幼稚園から帰宅後その日を振り返りながら色んな話していると、幼稚園での出来事を事細かに丁寧に説明してくれるちび。

「ちびのクラスのともだちのさ、、、」などといって同級生の子の話をしようとするとこれまで必ず「ともだちではないから。一緒にいるだけだから。」などと否定していたのに、最近は否定しなくなってきた。

それどころか「今日ね、おともだちの〇〇がね」などと「友達」という形容詞を使ってクラスの子を自ら説明してくれるように。

 

ようやく幼稚園が自分の居場所と少しは感じられるようになってきたのかな。

居場所になった幼稚園に明日もいってもいいかなと思ってくれたのかな。

 

さて、明日の朝どういう顔をして登園していくのが見ものですが、、

そこを期待を裏切ってくれるのが我が家のちびなので、、明朝もひと悶着ありそうです。笑 

 

はい、楽しませてもらっています。

 

ちびぞう、サルとの闘い

先日ジャックフルーツの話をしたと思うけれど

家の庭にはそれとは別に大きなパパイヤの木とパッションフルーツの木がある。

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二つとも立派な実がたくさんできていて、しばらくしたら食べれるようになるかな、という状態。

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ちびはウガンダに越してきてからずっとこれらの実が気になって仕方なく、食べられるようになるのを今か今かと待ちわびているのだ。

でもこの子たち。

緑の立派な実になってから、なかなか色が変わるまで時間がかかる。

ちびは毎日のように実がまだ木についているか、色が変化してないかを確認する。

「まだだねーまだだねーもうすぐかなぁ」なんてウキウキわくわく。

 

そんなある日。

この大事に楽しみにしていたパッションフルーツの実がかじられているのを発見したちびぞう。

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これは、間違いなく我が家にたまに遊びに来るサルのしわざ!

 

うちの庭にはなぜか週末になるとサルがやってくる。

平日には来ない、週末限定。

あ、決して出張動物園とかではなく、、、笑

おそらく週末は人が少なくなるから、というのが理由。人の出入りが少なくなるので(使用人の方たちもお休み)

サルも人目をあまり気にせず人の庭などにやってこれるんだと思う。

その週末も日曜日、サルが庭に来て、我が家を徘徊していた。

 

サルにやられたんだ、、

がっくり肩を落とすちび。本当に毎日楽しみにしていたのに!

食べごろになるとこうやってやられてしまう、、、

 

その後考えたちびぞうと私。

パッションフルーツとパパイヤで色の少しでも変わっているものはいったん取ってしまうことに。

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家の中で熟れてもらおう作戦!

果たしてこの作戦成功してくれるのか、、

サルより早くフルーツをとっておいしく食べれることができるのか!!!

サルとの戦いに勝てるのか!

 

美味しく食すことができたらご報告します。

できなかったら、、察してくださいw

だから2018年、ウガンダに来ました

ずっとちびのことを書いてきたけど

ちびのことばかりをネタにして、彼の話ばかりしているのもちょっとずるいな、っていう気がしてきて、自分のことを少し書こうと思い立った今日。

ウガンダに行こう!と決めたのはちびぞうの成長に関する要素はもちろん大きかったけど、ウガンダに来ることを決定するにあたり、私の人生で大きな変化があったのも事実。

 

ウガンダに来る前は普通の一会社員として働いていて。

ウガンダに来る前の年、つまり去年2017年は私と建さんが「こどものてつがくきょうしつ」という場をオープンさせて、ようやく少しずつ形ができてきた、という大切な年でもあった。

 

にもかかわらず決めたウガンダ行き。

そして決定通りに私たち家族は年末日本を出発してウガンダに今来ている。

 

 

なぜ2018年がウガンダの年になったのかというとさして大きな理由はなくて

ただ行くなら早いほうがいいなっていうのが夫婦の総意だったから。

なんならもっと貯金をしてからのほうがこちらで楽しめたかもしれないし、もっと仕事にきちんと区切りをつけてから、とかこどものてつがくきょうしつを軌道に乗せてから、とかいろんな時期はあったかもしれないんだけど、でもやっぱり早いほうがきっといいと、判断した。

それは「待つことでできなくなることがある」ことがあることを二人とも知っていたから。

人生には勢いがそれなりに大事で、やろうと思ったことをその場で実行に起こさないと、考えれば考えるほど実践できなくなってしまうことがあると思う。

もちろん考えることは究極的に大事だけれど、直感で自分が押されたとき、考えが邪魔することもあると、思う。

直感が働いたのが今回のこと。

行こうと思った。行かないと、と夫婦二人とも思って二人の判断が「行くためにはどうしたらいいのかを考えよう」ということだった。行けるようにするためには何が必要か、いけない要素を探すのではなく、行くことができるようにどうできるか。

それを模索しようと。

 

実際たくさんハードルはあったし、そう簡単なことではなかった。

たくさんの人に理解を求めなければいけない場面もあったし、それがハッピーな話し合いにならないこともあった。

来てからももちろん、様々なチャレンジと日々日々遭遇しているようなところがある。

多分これから帰国するまでずっとそうな気もする、、、、笑

けど、so farとても来てよかったと思う。

言葉はシンプルだけど、そう思っている。

 

これからの時代を生きていくと考えるときに。

私自身、多様な生き方を受け入れられる人でいたいと思う。

人生で度重なるチャレンジをそこそこ面白いと受け止められる人でいたいと思う。

生きる場所も限定したくないし、やる仕事も一つに絞りたくないと思う。

それって言葉でいうほど簡単じゃないと思う。多分。

 

そう思ったとき、このタイミングがウガンダに来るべきタイミングだったんじゃないかと思う。

これからも常に、今できることがそのときできるような人でありたいなと思っている。

 

コンサバティブに生きることに安心を求めがちだし(私は本当に守りに入りたくなる性格でチャレンジ苦手)、それによって家族を守れるんじゃないかと思っていた時期もあったけど、それは違うのかな、と今のは私は、思っている。

今できることはできるだけ今やって。今やることの中でプライオリティを付けて、生きていくのがいいんだと思ってる。

だから2018年、ウガンダに来ました。

これからどうなっていくのか、全く見えませんが。。。笑

 

 

同じ記事に書こうと思っていたけれどなんだか長くなってしまったので、

2018年をどう過ごしたいかなっていう少しふわっとした話は、また別の機会にでも書くことにしたいと思います。

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ちびぞう、青ねぎとの登園

ウガンダの家の庭には、ちびの愛する鶏の暮らす鶏小屋に加え、ちびの祖父母が大事に育てる畑がある。

畑にはこちらではすぐに手に入りにくい野菜や、使用頻度の高い野菜が育てられていて、畑に毎朝晩水をやるのもちびの大事なタスク。

朝は幼稚園への登園まえ、必ず鶏に餌をやり、畑に水をやり、畑に生えている雑草の中からクローバーを探し、鶏にクローバーを食べさせる(うちの鶏はクローバーが大好物)、というのがちびの活動の、一連の流れになっている。

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そんなちびの一連の流れに最近加わったのが畑のねぎちぎりという作業。

いつの間にか勝手にねぎの先っぽちぎって、そのねぎを握りしめている。

いつの間にか。

 

最初の数回は私に怒られ、祖父母に怒られ「もう勝手に葉っぱを取らない」と約束したのだけど、でもこっそりねぎをちぎっている。

しかも少しだけ。ほんの少し。

最初は怒ってた私たちもほんの少しだし固くなっている青い部分だからもういいや、と気にしなくなるように。

 

今朝は幼稚園へ向かおうと車に乗ると、ちびがねぎを手に握りしめているのを見つけた。

またちぎってるよーと思った私だったのだけど、もう特に触れもせず、そのまま幼稚園へ。

 

すると幼稚園へ行くとその青ねぎを先生に真っ先に見せるちび。

先生が「またねぎを持ってきたのね!」とニコニコ。私のほうに振り返り「いつもねぎを持ってきては見せてくれるのよー。どこから持ってくるのかしら?」と。

話しかけてくれる先生に対し、ねぎを見せながらも無言を突き通すちび。

でも先生はそんな無言で無表情のちびに対して一生懸命話しかけてくれる。

いつも幼稚園に持ってきていたのか!

 

無表情ながらも先生にねぎを見せ続けるちびを見て、「何かきっかけが必要だったんだなぁ」とようやく気が付いた私。

誰かと仲良くなる時や、コミュニケーションを始めるときって必ず何かきっかけが必要だ。

特に言葉が伝わらない相手と仲良くなったり距離を縮めたりしたいとき、間違いなく何か、相手がコミュニケーションをスタートしてくれるようなきっかけをいつも探すことになる。

それが人によってスポーツだったり、アートだったり、勉強だったり、いろいろ。

 

私も英語にまだ不安があったとき(いまでもありますけどもちろんw)、話しかけてもらえるきっかけをいつも探していたように思う。自分でうまく話しかけることができなくて。いつもいつも周りを見渡しては、話しかけてもらえるきっかけになるものを探していた。思い出すと胸がきゅっとなる思い出の一つ。

 

今回のちびの場合、それがきっと青ねぎだったんだなぁ。

そう思うと彼の握りしめるそのねぎがとんでもなく愛おしいものに思えて、またもじわりと泣きそうになる私。

 

そしてそのねぎを握りしめて登園した日。

ちび、初めて泣かずに登園することができました。

歯を食いしばって、不安定な表情で、何かあったらいつ泣き出してしまってもおかしくないようなアンバランスさのなかだったけど、泣かずに「またね!バイバイ!」と私たちを送り出してくれるその姿に、とんでもない成長を感じ、確実に彼の中に強さが生まれてると感じた朝でした。

今週末は3連休。

月曜日はまた盛大に泣くんだろうと思うけど、青ねぎをちぎる彼の姿はそっと見守ることにしようと思う。

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