ちびぞう、「伝え方」を「考える」
ちびぞうの最近の主な関心事項といえば、初めて出会った「その人」、が自分より英語ができるかどうか、ということ。
「○○ちゃんってちびとどっちが英語上手かなぁ?」
今までは年齢や体のサイズで自分より優か劣か、上か下か、を判断していたようだったのに(動物的な)、こちらに来て学校に行き始めてからはすっかり英語の能力、というのが一番に浮かんでくるようになっているよう。
だから自分より小さい子や歳下の子でも、自分より英語ができるという時点で、なんだか勝手に負けを感じているみたいだ。
それだけ英語力への関心度が高い今の彼。
私が誰かと英語で話していると
「かっちゃはなんで英語できるの?どうやったら英語できるようになる?ちびちゃんいつになったら英語できるようになる?」と質問攻めにあう。
本当に英語、できるようになりたいんだなぁ。
本当に英語、できないことで大変なことがあるんだろうなぁ。
よく考えてみれば、
今までいつもおしゃべりのセンターにいたかった彼が、寝ても起きてもずっとおしゃべりしてる彼が、一日の起きている時間の半分を、自分の話す言葉が全く理解してもらえず、周りで何を話されているのかが全く理解できない、そんな世界にいるんだから。
わかってはいたけれど、あらためて。
それはそれはなかなか大変なことだろう。
それはそれはなかなかつらいことだろう。
なんとなーくyesって回答してみたり、noと答えてみたりしながら、相手の表情やジェスチャーを一生懸命うかがうちびの姿を見てると、かなり本当に必死だし、一瞬一瞬がとても真剣だな、と思う。戦ってる。本当に。一瞬一瞬を。
ただ同時に担任の先生や、触れ合う人々がちびの表情や仕草を一生懸命に汲み取ろうと、理解しようとしてくれているのも事実で、その優しさにも毎度グッとくる。
それに対し、ちびはちびで、自分のおしゃべりが伝わらないと理解したことで最近、ボディランゲージを覚えたらしい。
いろんな仕草や表情、声のトーンで自分の気持ちを伝えようとすることを覚えた。
担任の先生からも、「最近のちびは本当に本当にたくさんのボディランゲージで気持ちを伝えようとしてくれますよ」と教えられる。
これについては、本当にちびに、私がそれはついてとてもとても感動したことを伝えた。
英語ができることが素晴らしいことじゃない。
ここでは英語がスタンダードだけどこの先英語がスタンダードじゃない世界を幾度も経験することになるはずの彼だから。
英語ができることが「優」でできないことが「劣」じゃない。英語ができる誰かより、ちびが劣っているわけじゃない。
ただ、伝えようとすることがもちろん大切で。
伝えるための手段を「考える」ことが大事だ。
英語は絶対的な武器じゃない。
でも目の前にいる相手が理解してくれる伝え方を「考えられる」こと。これは絶対的な武器で、これから先もきっと一生必要になっていくから。
たったの3ヶ月でそれを手に入れた彼を、考えることを日々怠らないあの人のことを本当に誇りに思ったし、すごいと泣けた私。
そんな出来事でした(はい、親ばかMAX)。
なんてことをちびに伝えたけれど、とはいえちびにとって今英語が最重要課題なのは変わらないわけで、、、彼は本当に真剣に必死に英語に食らいついてます。
最近は私の呼び方が「かっちゃ」から「ママ」になり、「マミー」になりました。
マミーというキャラから離れすぎている私だけど、でもマミーと呼ばれ「YES?」と答えたくなるのは、彼の努力や真剣度が、滲み出るように伝わってくるからだし、私も本当に負けていられないな、と思う。