ウガンダから帰国しました。

アフリカから帰国した家族のお話。

ちびぞう、マイノリティの経験力

「かっちゃ!ちびちゃんのblueの靴がないよ!」

「ここにあったよ。はい、"here you are"」

「ああ!"Thank you!"」

 

 

幼稚園へ通い始めたころはそれはそれは英語が嫌で。

英語にただただ嫌悪感を示していたちびぞう。

英語で話しかけるとそっぽ向いたり、無視したり、大きな声で日本語で返したり。

必死に彼なりに抵抗していたように思う。

以前の記事にも書いた通り、理解してもらえないストレスはものすごいようで、幼稚園では静かに静かにしているらしい。そんな彼は家に帰宅してからのスーパーハイテンションでもう止まることなく話し続ける。

息継ぎを忘れているんじゃないかと思うくらいのスピードと単語量で話し続ける、それはもう一生懸命に。午前中の分をなんとか取り返そうとしているんだようか。

 

でもやっぱり転機ってあるんですね。

子どもだからなのだろうか。お話し好きだからなのだろうか。周りの人のおかげだろうか。それとも本当に必死の必要性から、学ぼうと努力することにしたんだろうか。

ここ最近英語に対する興味が強くなり、英語への嫌悪感が消え、彼は英語と向き合い始めた。

何かを見つけては「これ英語でなんていうの?」と聞き、それを英語で言ってみる。

一度覚えると忘れることは少なく、繰り返し使うことができる。

「"Thank you!"って言われたら"welcome"だよね」

「謝るときは"I'm sorry"だよね」

「いいときはね"good!"っていうし、ダメなときは"nooooo"だよ」

 

 

1人で過ごしているときに、鶏に対して"no no no!"なんて言っているときもあるし。

そして冒頭で書いたのが先日の放課後のやり取り。突然英語を交えてしゃべってみたり。

1人でで数を数えるときにone, two, three...なんて英語で数えるそぶりを見せてみたり。

 

幼稚園に行くと、やっぱり他の友達と言葉を交わすのが難しいのか、他の子たちとコミュニケーションできずに孤立しているのかなぁと思うこともある。

言葉が話せたらきっと解決できるのに言葉が不自由なせいで解決できないことってたくさんあると思う。

ちょっとした行き違いから歪みが生まれることも。

 

マジョリティ対マイノリティの構図になった時のマイノリティの辛さは、その最中にいる人しかわからぬ辛さだ、たぶん。

ただこの辛さをきっと忘れずにいて、今後の人生でその辛さを持ってる人に手を差し伸べられるような、この先何かの折にマジョリティ側の立場になったときもその時のマイノリティにあたる人の気持ちをちゃんと一緒に考えられるような、そんな人であってほしい。

 

言葉や文化だけじゃなく。

何か1つの考え方をとっても誰かがマジョリティの中で孤立することは常々あると思う。

 

辛い経験。彼にとって今の日々がクリティカルであるほど辛いのであれば、きっとどこかに残ってくれるはず。そして彼は今必死に考えていると思う。彼なりの生きる術を。

これを1つ乗り越えた時、また1つ彼の中に新しい考え方、考える力が芽生えていくんではないか。

 

 

 

 

なぁんてことを日々考え過ごしているわけでは決してなく笑、ちょっと日々に苦しんでいる彼に、言語だけじゃなく、今多分本当に大切なことを学んでるよ、と言いたくてこんなことをかんがえてみたのでした。

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