ウガンダから帰国しました。

アフリカから帰国した家族のお話。

ちびぞう、英語界での葛藤。

「本当に口から生まれてきた感じですよね」

とどこへ連れていっても言われるちびぞう。

小さいときからおしゃべりがとにかく好きで、寝ても起きても喋っている人。

眠りにつく前にはいつも1人でその日の出来事とかを反芻して1人話したりしている。

とにかく本当に言葉通り「口から生まれてきたような人」だ。

 

その彼が全部英語の幼稚園に通い始め、どんな反応をするのか。

気になるとともにとてもとても心配でもあった。

周りが英語を話すということは理解しているけど、自分が理解されないことに彼がどう反応するのか。心を閉ざしてしまわないか。

自分のおしゃべりで人を喜ばせることが大好きなのに、自信を喪失してしまわないか。

親の不安や心配は尽きないもの。

 

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そして幼稚園1日目。

特に言語については何も触れていなかったけど

「トイレ大丈夫だった?」と尋ねると、

「あー先生勝手に連れていってくれるから大丈夫だよ。」とのこと

 

朝預けてからこっそり様子を見に行くと、

同じクラスの男の子に一生懸命日本語で話しかけていた。

「自由なんだよ!選択は自由だ!」とクラスメイトに話しかけるちびぞう。

お友だちもまさか初対面の日本人にフリーダムについて語られているとは思わないだろうが。笑

 

そして2日目

まぁ行きたくないとごね、いろいろ大変な朝ではあったが、

帰り道、翌日の話になったので「明日はプールだってよ」とちびに伝えると

「ちびちゃん入りたくないわ」と。

「じゃあ入らないって先生に言ったらいいんじゃない?」と私が答えると

「あー先生はね、英語の人だから入りたくないって言ってもわかんないんだよねー」

そのとおり。

「じゃあかっちゃから先生に言っとくね。入りたくないみたいですって。」と返すと

「んー書いといて」とおちび。

 

ほほう。

 

コミュニケーションに対してすごく前向きだし、打開策を建設的に考えられる力。

学ばせられることがとても多い。

 

私は理解してもらえないとどうしても心を閉ざしがちになってしまう。

それは言葉の問題だけではなく、人と対話をしているときに、理解しあえぬ時もその人の話を聞きたい、理解しあえないなりにのコミュニケーションがある、と思いつつ

どうしても理解が難しい人には心を閉ざしがちだし、壁を作りがちだ。

 

彼にとって、3年間作り上げてきた自分が得意だと自負するお喋りが通用しなくなったこと、並大抵のことではなかろうと思う。

 

子どもの方が適応能力があるなんてそれは嘘だと思うし、年齢が低くとも葛藤は同じだと思う。

 

だからこそ、彼の姿をきちんと観察して、

私も一緒に考えなければと思ったのでした

 

まだまだこれからです。