ちびぞう、帰国後のおはなし
あっという間に時間は過ぎるもので、
ウガンダにきて5ヶ月が経過しようとしています。
本当になんだかあっという間でした。
最初の3ヶ月はなんだか探り探りで、4ヶ月目くらいから一気にいろんなことが回り出し、本当に日々があっという間に過ぎていく。
そんな私にとっていつも頭の中に課題としてあるのは、いつ頃から帰国した後のことを真剣に考え始めるか、です。
仕事はともかく、
一番はちびのこと。ちびの教育に関わる事は全て。
住もうかなと思っているエリアはあるものの、それ以外は全てノープランな私たち。
どこに住むか、2人とも仕事をするのか、それともしばらくお休みするか、いろんな諸条件によってもちびの過ごし方は大きく変わってくると思います。
ウガンダではべったり祖父母も一緒で、私たちもかなりのんびりちびと関わってきたから、
帰国して突然両親2人とも大忙しで仕事をし始めたらちびも大きく戸惑うだろうし。やっぱり特に最初は少しのんびり彼の様子を見ていたい。
とはいえ仕事をしないなら幼稚園?
幼稚園に入れたらしばらく仕事はなしか?など。
こちらに来る前から考えていたことばかりだけれど、全てをまた同じようになぞるように考えています。
自分のことは全てなるようにしかならないし、今やっていることや、やりたいことについてものんびり関わっていけば良いか〜なんて思っているけれどちびについては帰る前から考えてあげないと、リサーチしておかないと、とおもうところ。
そうおもうとなんだか早々のんびりしてもいられない気もしてきました。笑
こちらは学校ももうすぐ年度末。
周りでも年度末の夏休みの話でみんな盛り上がってきました。
最高学年の子たちは金曜日が卒業式で学校も終わり。
夏休みはのんびりしたいけれど休みからあけたらそろそろ本格的に帰国後のことも少しずつ考え始めなければいけないのかな、と思います。
少し憂鬱な気もするけれど。、私たちの生活のベースはここではないし、この期間をより楽しく充実したものにするためにも、帰国後のことを本気で考えることもこちらにいる中での重要なミッションだろうな、という気がしてきました(遅
相変わらずこちらでは本当に素敵な出会いをたくさんもらいつつ、幸せな時間ばかりを過ごしつつ、ちびの様子ものんびり見守る生活ができています。
日本で全く同じように、とはもちろん言わないけれど、同じように地に足のついた、大事なものをとくに大事に、必要のないところには風呂敷を広げ過ぎず。で、大切な時間と多く時間を取れるような生活にしていきたいな、とだけ思っています。
とはいえズルズルと考えても仕方ないので、忘れないようブログだけには書いておき、今は保留に。
まずは目の前にある夏休み。夏休みをエンジョイしたらまたゆっくりしっかり考えます。
ちびぞう、大事なことは何か
間が空いてしまいました。
考えているうちに時間が経って間が空いてしまいました。
ちびは相変わらずの超絶反抗期ですがなんだかんだ本当に可愛いやつです。
そんなちびを見ていてわからなくなることがあります。
彼が成長していく上で大事なことは何か。
ものを貸せなかったり。
順番を譲ってあげられなかったり。
叩かれたら叩き返したり。
嫌なことを言われたら威嚇したり。
親から見ているとハラハラすることばかりだったりして。
他の子どもと接しているとついつい気になることが多かったりするけど。
大したことではないのかなって。
大した問題ではないのかなって。
人に優しくできることってもちろん大事なことなのだけど、親からしてみたら優しくなって欲しくて彼を生んだわけでも育てているわけでもないのだ。
なんか乱暴な言い方で本当に捉え方によってはだいぶん問題のある親な気がするけど。
言いたいことがうまくかけないんだけど。
違うんだ。
優しい子に成長してほしい、とか思わない。
思いやりのある子に育って欲しい、とか思わない。
そりゃたまたまちびぞうが優しい大人になっていったら丸儲けだけど、でもそんなことは本当に親からすれば瑣末なことだと思う。
いつもいってきました。
自分で決められる人になってくれればそれでいいって。
自分で考えて判断できる人になってほしいって。
どんな結論でもきちんと考えて出した結論なのであればそれでいいと。
ただその分考えることだけは決して怠らない人になってほしいと。
でも目の前で成長している彼をみているとなんだか不必要なことに惑わされることが多くて。
いろんな子どもたちと接していると余計なことに引っ張られることも多くて。
でも違う。
親が子どもに何かを求めること自体どうかなと思うけど。でも何かを彼に希望するならひとつだけ。
考えてくれ。
自分の考えに責任を持って、自分で考えて、つどつど決めていってくれと。
そのためには私もちゃんと考えて彼に接していなければ。
なんてことを思いました。
色々ウガンダに来て気持ちが開放的になって感性に引っ張られることはあるけど、それはそれで大切にしつつ我が家が大事にしてる「自分のことは自分できちんと、きちんと考えて決める」というところからぶれないようにしたいな、とあらためておもいました。
こういう環境にいるからこそ、一緒に考えなければ。
間が空いた割には!
、、なブログになってしまった、、
明日以降少しずつ溜まっていることを書きます。
世界を旅する世界を料理するシリーズもなんだかんだ溜まってるんだ!!
ちびぞう、自信が必要
この日以来なんだかとても元気で穏やかな表情を多く見せてくれるおちびなんです。
ちびぞう、一部は全部じゃない - 家族でアフリカに住んでます。
なんでだろうな、と色々考えたけど。
いろんな要因はあるんだと思うけど。
思いついた一つがこのブログのタイトル。
幼児期の子どもの成長には成功体験の積み重ねがとても大切。
なーんていうのは学生時代、教育心理学の授業も、子ども心理学の授業も昼寝の場だと信じてた私にだってわかること。多分世の中の大人がみんなある程度知っていることなんだろう。
知識としては持っていたけど実感としては少なくて。
こまめに褒めたり、できないことよりまずできたこと、とは思ってきたけれど。
よくよく考えて今のこのちびの状況。
自信が限りなくゼロに近くなるような環境にいるのかも。と気づいた?私。
新しい環境で、言葉がわからなくて。
後から入ってきた友だちの方がどんどん早く環境に馴染み、輪に入って行く。
周りを笑わせるのが大好きなのに、得意のおしゃべりで、みんなを笑わせられない。
これは彼、自信を失いかけてたのかもしらんな。
自信の喪失がいろんなところに余波として出てきて、なかなか話しかけられても勇気を持って答えられなかったり、呼ばれても輪に入っていけなかったり。不安定な気持ちになったりするのかもしれないなぁ。
「今日PE(体育)休んだんだ」
という彼に
「どうして?」
と聞くと
「先生があれやって、これやってっていうことわからないからね、できないの。だから体育したくないの。」
「そっか」
と妙に納得。
先生と話してみると、先生も一生懸命ちびがわかるように身振り手振りで話してくれてるようなんだけど、先生がクラス全体に説明してくれたことを、実際みんなと説明通りにやらなきゃいけないって、言葉がわからないとしんどいよなぁ。なんて思った。
「別にやんなくてもいいよ、やりたくなかったら。大した問題ではない。」と話はしたものの、体育自体がやりたくないわけじゃない以上、そこでやらなくなってしまうのももったいないのかもと考える私。
言語の要因から他のいろんなこともできなくなって行くと、辛いよなぁと思ったり。
そんなこんなでいろんな自信を少しずつ失いかけてたちびが、久々に出会えた同じ年齢くらいのお友だちと楽しくコミュニケーションできて、仲良くなれたこと。
相手の子もちびとの時間が楽しかったようで何度も「また遊ぼう」と言ってくれたこと。
それは本当にちびにとってとても幸せなことだったし、自信を取り戻すきっかけになったのかもしれない。
自信って
誰かに褒められたり誰かに認められることはもちろんだけど、自分で自分を認めたり褒めてあげたりできることが一番。
一番の自信になるし一番の支えになる。
だからやっぱり褒めてあげることだねではなくて、自分で自分の良さに気づけることが大事かな、と。
たくさん褒めつつ、たくさんたくさんチャレンジする場面を一緒に見つけられるといいなぁ。
そして今の、この自信が消え入りそうな環境の中で、日々の楽しい時間が少しずつ少しずつ増えていくことが、きっと彼の中では確実に大きなパワーになっていくはず!
私はほんと何も大したことはできないけれど、どん、とそばで見守りたいと思います。
ちびぞう、一部は全部じゃない
ちびのことをかきます。
いつもちびのことをまぁ書いてるわけですけど、改めて。
私の思うちびぞうは、引っ込み思案で、どちらかというと穏やかで、周りをよく見てる人。周りに気ばかり使う人でなかなか思ったことを言えない人。
そんな感じ。これは多分半分真実で半分は間違い。
日に日に見解も変わるし、日に日に彼はやっぱり成長してる。
そんなちびが、ウガンダに来て英語の環境に入ってから明らかに変わったことがいくつかあって。
わたしは最近それに惑わされてた。
惑わされてたっていうか、それももちろんちびの一部で、こういう環境下にいるときにこうなるっていうちびぞうのまぎれもない一面なんだけれど、それがあまりも前に出てくるから、他のちびが持っているたくさんの良いところが霞んで見えていたかもしれない。
理解してもらえないとつい手が出ること。
気に入らないことがあるとき相手に大声で威嚇しようとすること(本人はライオンのつもり)。
挨拶されてもプイってしちゃうこと。
話しかけられても話しかけられてもなかなか輪に入って行こうとしないこと。
こんは些細なことから、私は彼の対人関係スキルとか、人間関係を勝手に心配したりして、勝手に気を揉んで勝手に助けようとしたりしていた。ついつい口を出したり指摘したり。
ちびの変化、全部じゃないけど多くは皆、新しい環境に慣れようと努力してる途中だからだ。
うまく言葉が出ないからだ。
自分の英語に自信が持てないからだ。
もちろん成長の過程もある。
でも、ちびの日々はちびの心の葛藤の連続だ。
昨日たまたま我が家に来てくれた日本人のゲストの中にちびと同じくらいの年齢の男の子がいた。
最初はなかなか打ち解けられなかったちびだったけど時間とともに彼と仲良くなって楽しくなって、最後は別れがたくて涙しそうになる程。
なんて事のない光景だったんだけど、私は泣けてしまって仕方がなかった。
久々に日本語を話せる友だちと一緒になれて楽しかったんだろうなぁ、と思うことはもちろんだけど、ちびが日々葛藤しながらいろんな行動や言動で表現しているのを知ったからだ。
彼の今見せる行動は彼の全部じゃない。
そしてちびの今は紛れもなくちびで、こういう状況に置かれたときの彼の葛藤は彼そのものなのだけど、でもそれは当たり前だけどちびの全部じゃなくて。ちびは広いしいろんな一面もいろんな可能性もたくさん待っているんだっていうこと。
頭でわかってたつもりで口でも繰り返していたけど、それを一番に信じて、一番に「大丈夫」って思ってあげられてなかったのかもしれないなぁ、振り返りました。
笑顔でおしゃべりしながら楽しそうに駆け回るちびをみて、本当になんだか幸せな気持ちになった日曜日だったのでした。
そして月曜日。
「なんだか幼稚園行きなくない気分になったなぁ」と言うちびだったけど、
ちゃんと幼稚園へ行くと自分のロッカー荷物を入れ、私とバイバイする彼なのでした。
そして、「Chibi has come!」と笑顔で先生に伝えてくれる友だちといつも暖かくちびを迎えてくれる先生方にもたくさんたくさん大きく感謝です。
よし、もう少し大きく構えていこう。
ちびのことを応援する気持ちが強くなりすぎて、このブログを書いてることもあって、彼の観察を本当に細かくしてきたけど、彼のことをもっともっと信じて、どんと構えていこう。
そういえば、4月頃から始動していましたが、家族で新しいことを初めてみました。
近々このブログでも紹介したいなぁ、と思っています。
ちびぞう、言語同士はバーター?
ちびぞう、最近なんだか母親の私でさえびっくりするくらい、めきめき英語を覚え、話しています。
簡単な会話であれば英語でも徐々に成り立つようになってきて、テレビや映画も観れるものなら英語で観たい!というように。
彼にとって今の社会生活こそ英語だからまずはとにかく必要に迫られて早く習得したくて仕方がないんだな、ということと。
彼にとって今一番刺激的な存在である「友達」という存在が使う言語、それが英語だということ。これは本当に大きなことだろうなと思います。やっぱり人間って刺激に惹かれるものだから。刺激に惹かれ、そこから新しいことをどんどん習得していくんだと思う。
彼の発する歌や独り言でさえも英語になっていることが多くて、思わず耳を傾けてしまう。
そしてあれだけ嫌がることが多かった家族内での英語も全く嫌がらなくなり、むしろ私が日本語で話しかけた問いに英語で答えたり。そんな感じ。
それくらいめきめきどんどん発達する彼の英語のスピード。
それにひきかえ、日本語の成長スピードは正直弱まってきた気がします。
毎度話す通り、ちびぞうといえば口から生まれてきたような人で。
彼はとにかくずっとノンストップで喋り続けるタイプで。
どんどん大人っぽい喋り方になっていくので本当に他のことに比べ、お喋りについてだけ言えば同じ学年の他の子たちよりもできるようになるの早いのかな、という気がしていた。
そしてその成長スピードとといえばウガンダに来て、最初の3ヶ月くらいはおそらく変わらずで、「本当によく喋るなー」とか「また新しい言葉覚えて来たなー」なんて思うことの連続だったけれど、最近はそれの頻度が減って来ている気がする。
やっぱり言語はバーターなのか。
片方のメーターがあがると片方が目減りしていく。
両方同時に著しく成長していく、というのはなかなか難しいのかもしれない。
それ以外にも彼の言語の発達はいろんな葛藤を生んでいるんだろうなぁと思うことがしばしばある。
気持ち的にもやっぱり不安定。
言葉やお喋りがよりどころの彼にとっては言語の習得が生きる上でのキーだし、そこに小さい身体全部使って日々日々パワーを注いで今生きているんじゃないかなぁと想像したり。
ものすごく疲れるんだろうなぁ、とか。
ただこればっかりについてはしょうがなく。
彼が学びたい姿勢を見せてきた言語をその都度私としては教えていくしかないのかな、と思っています。
あとはとにかく見守る姿勢を出来るだけ崩さぬよう、気をつけます。
こどもの日に建さんがチテンゲで鯉のぼりを作ってくれました!!可愛い〜
言語云々はさておき、文化については日本のもの、海外のもの含め出来るだけ共有して私も学んでいこうと、そう思ってます。
ちびぞう、薄れ行く記憶
子どもが生まれた頃からずっと「3歳くらいまでの記憶って残らないんだよ」
って幾度となくいろんな方に言われてきた気がする。
たしかに自分自身も3歳以下の記憶ってほとんどなくて、覚えていても断片的な映像や言葉だけで、もはや覚えているのか後から写真や話で取り戻したものなのかも定かではないくらい。
ほんと、その程度のもの。
ちびはいろんなことを本当によく覚えている方で、
いろんな細かいことを覚えていては私たちにさえ思い出させてくれるような人で。
体調が悪かったり、どこか痛かったりしたらそこから数日間くらいずっと気にしてくれるし、あれどうなった?と聞いてくれるような、そんな記憶力を持った人。
昔見た情景と似たようなものを見ると、必ず彼の中でのリンクを教えてくれるし、それによってこちらも昔を振り返れたり幸せな気持ちにさせてくれる、そんな人。
でも最近、驚くほど、軒並みいろんなことを忘れていっている。
鎌倉に住んでいた頃の
大好きだった歌とか。
よく食べていたものとか。
お気に入りの場所とか。
ちょっとした細かい昔のエピソードを、どんどん、どんどんどんどん忘れてる。
昔の映像や動画を見てもまるで新しいものを見るような顔をしてみるし、
全く、思い出せないときもあるみたいだ。
どんどん今新しいことを吸収しているしなぁ、なんて思ったけど、多分それだけではなくて、やっぱり今彼は「その」ステージに来たんだ。
これまでのことをどんどん忘れながら、彼は今ぐんと新しいところへ行こうとしてるんだ。
あー
あー
あーーー
あーーーーーー
なんて寂しい。
なんて寂しいの!!!!
一緒に覚えた歌とか
保育園で覚えて来て私たちに共有してくれたこととか。。
もう数え切れないほどの私たちは覚えている思い出も、忘れてしまうのかぁ。
寂しい。
正直心底落ち込むほど寂しいのだけど、こればかりは仕方がない。
忘れていくことが彼の成長への大事なステップだろうし、今から彼はいろんな人、こと、場所に出会い、新しい記憶や思い出をどんどん作っていかなければいけないんだから。
そしてこれまで彼が短い期間だけど出会って来たいろんなことをベースに今の彼があって、そのちびがこれから新しい世界を作っていく。
新しい記憶を残していく。
そう思えば寂しくなんて、、、
寂しいー!!
まぁこればかりは親のエゴというかなんでしょう。しょうがないよね。
代わりにたくさん私たちが覚えておいて、大事に大事に記憶に残しておきたいと思うのです。
私たちが覚えていられるうちは笑
ウガンダでの日々も。
ほんの少しでも彼に残りますように。
ちびぞう、新しいお隣さん
空いていたお隣に。新しく家族が引っ越して来ました!
家族のお父さんはちびの通う学校の、英語の先生、
息子も娘もちびと同じ学校で、娘ちゃんの方はなんとちびの一つ上の学年ということで世界はせまい!
(娘ちゃんは7月生まれということで日本だったらちびと同じ学年かな。こっちは学年の初めが8月なので)
彼らの引っ越しにより、劇的に変化したちびの生活。
家の前や周りの共用スペースを彼らがキックボードでぐんぐん走り回るものだからまずその姿にちびはびっくり。そんな発想なかったもんねー。しかもそのスピードにびっくり。どちらかというと喋るスピード以外はゆっくり目のおちびなので、そのスピードに目が点に。
彼らの走り回る姿に感銘をうけたのか、カッコ良いと思ったのか、とにかく自らお気に入りのボダボダバイクを取り出し(ウガンダのバイクタクシーのことをボダボダと呼びます)、
彼らの走り回るスペースにとりあえず参戦。
でも決してあまり近くにはよることはなく、
話しかけられてもだんまり。
ま、英語なんでね。
でも、たぶん仲良くなりたいんだ。
すごく、きっと仲良くなりたいんだ。
「ちびの家のトランポリンより大きいのあるからおいでよ!」とキッズらに誘われると
「かっちゃ、ついてきて、、、」と弱々しく私を呼びはしたものの、自らお隣の家へ。
(確かにものすごい巨大なトランポリンでした。階段登って入るやつ)
そこでもとりあえず行ってみたもののトランポリンにも入らないし、彼らと全く触れ合わないちび。
でも
「そろそろ帰ろうか」と促す私に
「帰りたくない。まだいたい。」
と頑ななちび。
「じゃあトランポリンやってみたら?」と聞くと、ただただぶんぶんと首を振り続けるちび。
結局まだなかなか触れ合うことはできていないけど、ちびの中で「仲良くなりたい」という熱い想いはどんどん膨らんでいるようで、ここのところいつも窓の外の様子を伺っている。
こういうときに、
「とりあえず話しかけたらいいのに」とか
「ちょっと一緒に遊んでみたらいいのに」なんてついつい思いがちだけど、物事のハードルが一人一人違うことを忘れてはいけない、と強く思う。
私だったらやってみれることも彼にとってはものすごい高いハードルがあるかもしれないし、もちろん逆も然り。
親子だとついつい重ねてみてしまうことがありがちだけれど、当たり前のように彼は別の人だから。彼の難しさは私にはわからない。
特に対人関係においては考え方や捉え方、コミュニケーションや人との距離の取り方全てにおいて本当に大きな個人差がある。
ましてや彼が彼の武器である「おしゃべり」が使えない環境にいるとき、どれだけ心細く思っているか、は忘れてはいけないなと思う。
彼は彼のペースで。
ちびはちびのペースで。肝に命じなければ。
それにしてもこれからきっと毎日のように顔を合わせるお隣さんキッズとどんな形で触れ合っていくのか。。
母、目が離せません!面白い!!