ちびぞう、自信が必要
この日以来なんだかとても元気で穏やかな表情を多く見せてくれるおちびなんです。
ちびぞう、一部は全部じゃない - 家族でアフリカに住んでます。
なんでだろうな、と色々考えたけど。
いろんな要因はあるんだと思うけど。
思いついた一つがこのブログのタイトル。
幼児期の子どもの成長には成功体験の積み重ねがとても大切。
なーんていうのは学生時代、教育心理学の授業も、子ども心理学の授業も昼寝の場だと信じてた私にだってわかること。多分世の中の大人がみんなある程度知っていることなんだろう。
知識としては持っていたけど実感としては少なくて。
こまめに褒めたり、できないことよりまずできたこと、とは思ってきたけれど。
よくよく考えて今のこのちびの状況。
自信が限りなくゼロに近くなるような環境にいるのかも。と気づいた?私。
新しい環境で、言葉がわからなくて。
後から入ってきた友だちの方がどんどん早く環境に馴染み、輪に入って行く。
周りを笑わせるのが大好きなのに、得意のおしゃべりで、みんなを笑わせられない。
これは彼、自信を失いかけてたのかもしらんな。
自信の喪失がいろんなところに余波として出てきて、なかなか話しかけられても勇気を持って答えられなかったり、呼ばれても輪に入っていけなかったり。不安定な気持ちになったりするのかもしれないなぁ。
「今日PE(体育)休んだんだ」
という彼に
「どうして?」
と聞くと
「先生があれやって、これやってっていうことわからないからね、できないの。だから体育したくないの。」
「そっか」
と妙に納得。
先生と話してみると、先生も一生懸命ちびがわかるように身振り手振りで話してくれてるようなんだけど、先生がクラス全体に説明してくれたことを、実際みんなと説明通りにやらなきゃいけないって、言葉がわからないとしんどいよなぁ。なんて思った。
「別にやんなくてもいいよ、やりたくなかったら。大した問題ではない。」と話はしたものの、体育自体がやりたくないわけじゃない以上、そこでやらなくなってしまうのももったいないのかもと考える私。
言語の要因から他のいろんなこともできなくなって行くと、辛いよなぁと思ったり。
そんなこんなでいろんな自信を少しずつ失いかけてたちびが、久々に出会えた同じ年齢くらいのお友だちと楽しくコミュニケーションできて、仲良くなれたこと。
相手の子もちびとの時間が楽しかったようで何度も「また遊ぼう」と言ってくれたこと。
それは本当にちびにとってとても幸せなことだったし、自信を取り戻すきっかけになったのかもしれない。
自信って
誰かに褒められたり誰かに認められることはもちろんだけど、自分で自分を認めたり褒めてあげたりできることが一番。
一番の自信になるし一番の支えになる。
だからやっぱり褒めてあげることだねではなくて、自分で自分の良さに気づけることが大事かな、と。
たくさん褒めつつ、たくさんたくさんチャレンジする場面を一緒に見つけられるといいなぁ。
そして今の、この自信が消え入りそうな環境の中で、日々の楽しい時間が少しずつ少しずつ増えていくことが、きっと彼の中では確実に大きなパワーになっていくはず!
私はほんと何も大したことはできないけれど、どん、とそばで見守りたいと思います。
ちびぞう、一部は全部じゃない
ちびのことをかきます。
いつもちびのことをまぁ書いてるわけですけど、改めて。
私の思うちびぞうは、引っ込み思案で、どちらかというと穏やかで、周りをよく見てる人。周りに気ばかり使う人でなかなか思ったことを言えない人。
そんな感じ。これは多分半分真実で半分は間違い。
日に日に見解も変わるし、日に日に彼はやっぱり成長してる。
そんなちびが、ウガンダに来て英語の環境に入ってから明らかに変わったことがいくつかあって。
わたしは最近それに惑わされてた。
惑わされてたっていうか、それももちろんちびの一部で、こういう環境下にいるときにこうなるっていうちびぞうのまぎれもない一面なんだけれど、それがあまりも前に出てくるから、他のちびが持っているたくさんの良いところが霞んで見えていたかもしれない。
理解してもらえないとつい手が出ること。
気に入らないことがあるとき相手に大声で威嚇しようとすること(本人はライオンのつもり)。
挨拶されてもプイってしちゃうこと。
話しかけられても話しかけられてもなかなか輪に入って行こうとしないこと。
こんは些細なことから、私は彼の対人関係スキルとか、人間関係を勝手に心配したりして、勝手に気を揉んで勝手に助けようとしたりしていた。ついつい口を出したり指摘したり。
ちびの変化、全部じゃないけど多くは皆、新しい環境に慣れようと努力してる途中だからだ。
うまく言葉が出ないからだ。
自分の英語に自信が持てないからだ。
もちろん成長の過程もある。
でも、ちびの日々はちびの心の葛藤の連続だ。
昨日たまたま我が家に来てくれた日本人のゲストの中にちびと同じくらいの年齢の男の子がいた。
最初はなかなか打ち解けられなかったちびだったけど時間とともに彼と仲良くなって楽しくなって、最後は別れがたくて涙しそうになる程。
なんて事のない光景だったんだけど、私は泣けてしまって仕方がなかった。
久々に日本語を話せる友だちと一緒になれて楽しかったんだろうなぁ、と思うことはもちろんだけど、ちびが日々葛藤しながらいろんな行動や言動で表現しているのを知ったからだ。
彼の今見せる行動は彼の全部じゃない。
そしてちびの今は紛れもなくちびで、こういう状況に置かれたときの彼の葛藤は彼そのものなのだけど、でもそれは当たり前だけどちびの全部じゃなくて。ちびは広いしいろんな一面もいろんな可能性もたくさん待っているんだっていうこと。
頭でわかってたつもりで口でも繰り返していたけど、それを一番に信じて、一番に「大丈夫」って思ってあげられてなかったのかもしれないなぁ、振り返りました。
笑顔でおしゃべりしながら楽しそうに駆け回るちびをみて、本当になんだか幸せな気持ちになった日曜日だったのでした。
そして月曜日。
「なんだか幼稚園行きなくない気分になったなぁ」と言うちびだったけど、
ちゃんと幼稚園へ行くと自分のロッカー荷物を入れ、私とバイバイする彼なのでした。
そして、「Chibi has come!」と笑顔で先生に伝えてくれる友だちといつも暖かくちびを迎えてくれる先生方にもたくさんたくさん大きく感謝です。
よし、もう少し大きく構えていこう。
ちびのことを応援する気持ちが強くなりすぎて、このブログを書いてることもあって、彼の観察を本当に細かくしてきたけど、彼のことをもっともっと信じて、どんと構えていこう。
そういえば、4月頃から始動していましたが、家族で新しいことを初めてみました。
近々このブログでも紹介したいなぁ、と思っています。
ちびぞう、言語同士はバーター?
ちびぞう、最近なんだか母親の私でさえびっくりするくらい、めきめき英語を覚え、話しています。
簡単な会話であれば英語でも徐々に成り立つようになってきて、テレビや映画も観れるものなら英語で観たい!というように。
彼にとって今の社会生活こそ英語だからまずはとにかく必要に迫られて早く習得したくて仕方がないんだな、ということと。
彼にとって今一番刺激的な存在である「友達」という存在が使う言語、それが英語だということ。これは本当に大きなことだろうなと思います。やっぱり人間って刺激に惹かれるものだから。刺激に惹かれ、そこから新しいことをどんどん習得していくんだと思う。
彼の発する歌や独り言でさえも英語になっていることが多くて、思わず耳を傾けてしまう。
そしてあれだけ嫌がることが多かった家族内での英語も全く嫌がらなくなり、むしろ私が日本語で話しかけた問いに英語で答えたり。そんな感じ。
それくらいめきめきどんどん発達する彼の英語のスピード。
それにひきかえ、日本語の成長スピードは正直弱まってきた気がします。
毎度話す通り、ちびぞうといえば口から生まれてきたような人で。
彼はとにかくずっとノンストップで喋り続けるタイプで。
どんどん大人っぽい喋り方になっていくので本当に他のことに比べ、お喋りについてだけ言えば同じ学年の他の子たちよりもできるようになるの早いのかな、という気がしていた。
そしてその成長スピードとといえばウガンダに来て、最初の3ヶ月くらいはおそらく変わらずで、「本当によく喋るなー」とか「また新しい言葉覚えて来たなー」なんて思うことの連続だったけれど、最近はそれの頻度が減って来ている気がする。
やっぱり言語はバーターなのか。
片方のメーターがあがると片方が目減りしていく。
両方同時に著しく成長していく、というのはなかなか難しいのかもしれない。
それ以外にも彼の言語の発達はいろんな葛藤を生んでいるんだろうなぁと思うことがしばしばある。
気持ち的にもやっぱり不安定。
言葉やお喋りがよりどころの彼にとっては言語の習得が生きる上でのキーだし、そこに小さい身体全部使って日々日々パワーを注いで今生きているんじゃないかなぁと想像したり。
ものすごく疲れるんだろうなぁ、とか。
ただこればっかりについてはしょうがなく。
彼が学びたい姿勢を見せてきた言語をその都度私としては教えていくしかないのかな、と思っています。
あとはとにかく見守る姿勢を出来るだけ崩さぬよう、気をつけます。
こどもの日に建さんがチテンゲで鯉のぼりを作ってくれました!!可愛い〜
言語云々はさておき、文化については日本のもの、海外のもの含め出来るだけ共有して私も学んでいこうと、そう思ってます。
ちびぞう、薄れ行く記憶
子どもが生まれた頃からずっと「3歳くらいまでの記憶って残らないんだよ」
って幾度となくいろんな方に言われてきた気がする。
たしかに自分自身も3歳以下の記憶ってほとんどなくて、覚えていても断片的な映像や言葉だけで、もはや覚えているのか後から写真や話で取り戻したものなのかも定かではないくらい。
ほんと、その程度のもの。
ちびはいろんなことを本当によく覚えている方で、
いろんな細かいことを覚えていては私たちにさえ思い出させてくれるような人で。
体調が悪かったり、どこか痛かったりしたらそこから数日間くらいずっと気にしてくれるし、あれどうなった?と聞いてくれるような、そんな記憶力を持った人。
昔見た情景と似たようなものを見ると、必ず彼の中でのリンクを教えてくれるし、それによってこちらも昔を振り返れたり幸せな気持ちにさせてくれる、そんな人。
でも最近、驚くほど、軒並みいろんなことを忘れていっている。
鎌倉に住んでいた頃の
大好きだった歌とか。
よく食べていたものとか。
お気に入りの場所とか。
ちょっとした細かい昔のエピソードを、どんどん、どんどんどんどん忘れてる。
昔の映像や動画を見てもまるで新しいものを見るような顔をしてみるし、
全く、思い出せないときもあるみたいだ。
どんどん今新しいことを吸収しているしなぁ、なんて思ったけど、多分それだけではなくて、やっぱり今彼は「その」ステージに来たんだ。
これまでのことをどんどん忘れながら、彼は今ぐんと新しいところへ行こうとしてるんだ。
あー
あー
あーーー
あーーーーーー
なんて寂しい。
なんて寂しいの!!!!
一緒に覚えた歌とか
保育園で覚えて来て私たちに共有してくれたこととか。。
もう数え切れないほどの私たちは覚えている思い出も、忘れてしまうのかぁ。
寂しい。
正直心底落ち込むほど寂しいのだけど、こればかりは仕方がない。
忘れていくことが彼の成長への大事なステップだろうし、今から彼はいろんな人、こと、場所に出会い、新しい記憶や思い出をどんどん作っていかなければいけないんだから。
そしてこれまで彼が短い期間だけど出会って来たいろんなことをベースに今の彼があって、そのちびがこれから新しい世界を作っていく。
新しい記憶を残していく。
そう思えば寂しくなんて、、、
寂しいー!!
まぁこればかりは親のエゴというかなんでしょう。しょうがないよね。
代わりにたくさん私たちが覚えておいて、大事に大事に記憶に残しておきたいと思うのです。
私たちが覚えていられるうちは笑
ウガンダでの日々も。
ほんの少しでも彼に残りますように。
ちびぞう、新しいお隣さん
空いていたお隣に。新しく家族が引っ越して来ました!
家族のお父さんはちびの通う学校の、英語の先生、
息子も娘もちびと同じ学校で、娘ちゃんの方はなんとちびの一つ上の学年ということで世界はせまい!
(娘ちゃんは7月生まれということで日本だったらちびと同じ学年かな。こっちは学年の初めが8月なので)
彼らの引っ越しにより、劇的に変化したちびの生活。
家の前や周りの共用スペースを彼らがキックボードでぐんぐん走り回るものだからまずその姿にちびはびっくり。そんな発想なかったもんねー。しかもそのスピードにびっくり。どちらかというと喋るスピード以外はゆっくり目のおちびなので、そのスピードに目が点に。
彼らの走り回る姿に感銘をうけたのか、カッコ良いと思ったのか、とにかく自らお気に入りのボダボダバイクを取り出し(ウガンダのバイクタクシーのことをボダボダと呼びます)、
彼らの走り回るスペースにとりあえず参戦。
でも決してあまり近くにはよることはなく、
話しかけられてもだんまり。
ま、英語なんでね。
でも、たぶん仲良くなりたいんだ。
すごく、きっと仲良くなりたいんだ。
「ちびの家のトランポリンより大きいのあるからおいでよ!」とキッズらに誘われると
「かっちゃ、ついてきて、、、」と弱々しく私を呼びはしたものの、自らお隣の家へ。
(確かにものすごい巨大なトランポリンでした。階段登って入るやつ)
そこでもとりあえず行ってみたもののトランポリンにも入らないし、彼らと全く触れ合わないちび。
でも
「そろそろ帰ろうか」と促す私に
「帰りたくない。まだいたい。」
と頑ななちび。
「じゃあトランポリンやってみたら?」と聞くと、ただただぶんぶんと首を振り続けるちび。
結局まだなかなか触れ合うことはできていないけど、ちびの中で「仲良くなりたい」という熱い想いはどんどん膨らんでいるようで、ここのところいつも窓の外の様子を伺っている。
こういうときに、
「とりあえず話しかけたらいいのに」とか
「ちょっと一緒に遊んでみたらいいのに」なんてついつい思いがちだけど、物事のハードルが一人一人違うことを忘れてはいけない、と強く思う。
私だったらやってみれることも彼にとってはものすごい高いハードルがあるかもしれないし、もちろん逆も然り。
親子だとついつい重ねてみてしまうことがありがちだけれど、当たり前のように彼は別の人だから。彼の難しさは私にはわからない。
特に対人関係においては考え方や捉え方、コミュニケーションや人との距離の取り方全てにおいて本当に大きな個人差がある。
ましてや彼が彼の武器である「おしゃべり」が使えない環境にいるとき、どれだけ心細く思っているか、は忘れてはいけないなと思う。
彼は彼のペースで。
ちびはちびのペースで。肝に命じなければ。
それにしてもこれからきっと毎日のように顔を合わせるお隣さんキッズとどんな形で触れ合っていくのか。。
母、目が離せません!面白い!!
ちびぞう、アフリカの洗礼
ちびが高熱を出しました。
なんだか不機嫌だなぁと思っていたある日の夜。
まぁとにかく感情表現豊かな人なので大きな声で泣いてもそうかそうか、という感じなんだけど、その日はちょっとメソメソしてる。
「幼稚園で何かあった?」とか色々聞いても特に反応なし。
と思っていたら翌日の彼。
ご飯を残したんです。
ご飯を。残したんですよ!
食いしん坊なちび、ご飯を残したのは多分彼の人生(まだ短いけど)の中で多分2度目くらい。
あれ?と思っていたら抱っこすると。。
めちゃくちゃ熱い。
めっちゃ熱い。
検温。
うわ、38度以上もある。
即幼稚園のお休みの連絡をし。
様子を見ることに。
みるみるグズグズし出す彼。
わかりやすい。
そしてぐったりして、横になる。
保育園育ちのちびは0歳の頃もう毎週熱を出していて。
行っては休み行っては休みの繰り返し。
ただ、ぐったりするってことはなくて、熱を出しても昼寝はなかなかしてくれないし、とにかく元気って人。ご飯モリモリ食べるし。
なので、
こんなに弱ることは極めて稀。
心配しました。
まずはやっぱりマラリア。
マラリアはカンパラにはあまりないと言われているのでサファリに行く時や、遠出する時のみ心配をしていたけど、やっぱり可能性としてはもちろんある。
またその前日くらいにカンパラ市内でマラリアになったという人の話も聞いたいたので、ドキドキ。
そして昼寝するたびに上がっていく熱。
次測ると39.5度以上も、、
日本だったら間違いなく一晩は様子を見たと思います。
基本本当に調子悪くならない限り病院には行かないし(また新しい菌をもらう上に待ってる間に親子共々疲れるから笑)、薬も飲ませない事が多いんですが。
ウガンダに来たし。。ここはアフリカ。んーー。私の勝手な判断はダメだな。
と思い、近くの病院へいくことに。
前回おでこを割った時からすっかり病院恐怖症の彼は、着くなりびびっている。
ずっと帰りたそうにそわそわ。
私が血液検査するかもしれないからね、と予め説明していたこともあって終始目が潤んでいた(予めわかっている可能性は基本子どもともシェアする派です)。
で、検温後座薬を入れられてひとしきり騒いだ後、血液検査に。
普通に大人と同じように血液を取るわけですけど、やっていて、いやぁ大人になってるなーと思いました。成長しているなぁと思いました。
ちびは一歳にならないくらいの時にアレルギーの検査で血液検査していて。その時はもう本当に一時間近くかかったので。先生たちもげっそりでしたから笑
今回はまぁ、泣きはしたけどちゃんと我慢できて、針を刺してからは「もう痛くないね」という余裕もみせ。
人って成長するのねー。
結果は陰性。
マラリアではない。
ただ、何かのバクテリアの感染かなぁ?なんて言われ、薬をもらって帰宅。
そっからです。調子の下り坂。
午後はずっと寝ていて、もちろん晩ごはんは食べられず。
夜から嘔吐と下痢ですね。
きました。アフリカ洗礼。
インドとかにいく時にみんなお腹の薬を持っていくと思いますがアフリカもそうです。水はやっぱり綺麗じゃないし、みんな必ず一度はお腹を壊すと言われる(個人差あります)。
だけどちびはもともとお腹が強くて。その上体力もついてきてたのでこっちきてからも一切そんな様子はなく。
ずっと元気できていたけど。
幼稚園でご飯食べ始めたり、定期的にプールに入るようになったり、触れ合うお友だちもグンと増えたから、やっぱり体こわすよね〜〜。
2日間ほぼ何も食べなかったちびの身体はなんだか一回りくらい小さくなった感じですが、今はすっかり元気を取り戻してます。
丸2日くらい彼と思い切り向き合った感じで、久しぶりにもう四六時中ピッタリ共にいた感じで、なんだか新鮮でしたが、弱っている時の彼は可愛く。
守ってあげたいなどと母は思うのでした。笑
でも今やもうすっかり元気を取り戻し、声は大きいし、エネルギーは有り余るし、大変です。
弱ってる時は嫌味とか意地悪言わなかったのに本当に最近嫌味ブームで腹立つわ〜〜笑 口げんかばっかです。まぁ負けないけどね!
でも家族の総意。ちびが元気なのが一番。彼が元気じゃないとなんだか家の景色さえ違って見える感じです。
ようやくノーマルライフ、と思いきやメイデー(5/1)の間の月曜日さえお休みなのでしばらくべったりデイズ続きそうです。
皆さまウガンダへお越しの際はお腹の薬を忘れず。
そして今回はこういう例でしたけど、高熱が出た場合はやっぱりマラリア検査してくださいね。
寿司、すき?
3月頃から学校のアフタースクールアクティビティ(ASA)なるものをいくつかお手伝いしていて、そのうちがクッキング。
友人がやるのを引き受けたクラスに、5-8才の子どもたちが20人も来るというので「それは手伝うよ」、と話したのがきっかけ。
でもこれ、蓋を開けてみたら猛烈に大変で。笑
まず5歳くらいの子どもたちに料理させるというのがそこそこハードル高い上に、学校からも制約がたくさん。
難しすぎてもいけないし
簡単すぎてもいけないし
時間内にきちっと終わらなきゃいけないけど(帰りのバスがある)、時間を余らせて子どもたちが暇になる時間を作ってもいけない。
子どもたちが火を使うのはダメで(火を使うパートは大人がやる)、混ぜたり切ったりトッピングしたり。そんな簡単なことで楽しませ、学ばせなければいけない。
むずい。
最初からずっとアメリカンな感じのカップケーキとか、クッキーとかばかりやってたんだけど、これって退屈だよねぇ、飽きるよねぇってことで、
母と一緒に寿司の回をやりました。
これ大反響。
トッピングになるものを少し子どもたちに切らせ、
こちらでデモを見せ、
最後に子どもたちに少しずつ巻かせる
という3ステップだったのだけど、
もう子どもたちは大喜びで、巻いたものを持ち帰るはずだったのをどんどん巻いて食べる巻いて食べるの繰り返しで。愛されている食べ物なんだなぁと気づく。
私の学生時代は、外国人の友人らにはまだ寿司が苦手な子たちが多かったし、まず黒い食べ物(=海苔)を食べるということが、考えられない!みたいな世界だったので。
この20年弱の間に寿司の知名度も浸透度もものすごく上がったんだなぁということに気づかされました。
今日子どもたちはみんななかった海苔だけ分け合って食べてましたから。びっくり。
そして彼らにとっては寿司って多分もはや日本料理という感覚すらなくて。
SUSHIというインターナショナルフードなのだと知る。
「寿司って作れるんだねー」とか
「寿司って美味しいねー」と言いながら帰って行く子どもたちをみていると本当に嬉しくなって、「日本食だよ」と念を押しつつ笑、大変だけどやってよかったなぁ、幸せだなぁと思うのでした。
ウガンダも東アフリカも最近は東洋人といえば中国人ばかりだし、日本人より韓国人で。
現地のマーケットに行けば、
まずは
CHINA!と叫ばれ
反応しないと
アニョハセヨ!
と言われ、反応しないと向こうもポカンだったり。
寂しいから、寂しすぎるから
必死に「ジャパン!」って叫びながら歩いたりするけど笑
学校でこういう機会をもらって
日本の文化の一部を共有できて、誰かに喜んでもらえるってことはありがたいことだし、機会に感謝。
ただかなり大変だったからしばらくやりたくない。
来週はカップケーキに戻ります笑